ELIZETH CARDOSO

SE TODOS FOSSEM IGUAIS A VOCE



 良い音楽は何時までも残り、何時までも聴かれ続けます。梅雨時期の今、 部屋でゆっくりコーヒーでも飲みながらこんな音楽を聴いてみては如何でしょうか? 今回紹介するアルバムは、ブラジルの宝物と言われているエリゼッチ・カルドーゾ 全盛期のベスト盤、<もしもみんながあなたのようだったら>です。

 日本には美空ひばりという不世出のアーチストがいました。アメリカではビリー・ホリデイ、 フランスではエディット・ピアフ。そんなアーチストがブラジルにもいたのです。 その名は、エリゼッチ・カルドーゾ。 ブラジル音楽が好きな人はもうとっくに知っていることだと思いますが、 多くの人は知らないと思います。そこで少し彼女を紹介してみましょう。

 1920年、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロの北部、ゾナ・ノルチ出身の彼女は、 父親が歌手でギター奏者ということもあり、幼い頃から歌に親しみます。 早くも8歳の時には人前で歌って収入を得ていたと言われています。 そして15歳で叔父が経営するナイトクラブのパーティーで歌っていた所を ジャコー・ド・バンドリンが偶然聴いた事からラジオ局のオーディションを受けることになり合格。 歌手の道が開けます。しかし、当初は中々芽が出ず、色々な仕事をしてチャンスを待ちます。 1946年にラジオ番組のホステス役を得た彼女は、1947年、スタール・レーベルに初録音しますが、 残念ながら御蔵入りしてしまいます。しかし、トダメリカ・レコードに移籍して出した <愛の歌>がヒット。次第に彼女の名前が知れ渡って行きます。 1952年に出した<丘の上のあばらや>が大ヒットし、その人気は決定的なものとなるのです。 54年にはコンチネンタル・レコードに移籍、 56年にはコパカバーナ・レコードに移籍して79年まで多くのレコードを録音し、 ヒットさせていくのです。58年に出したアルバム、 <カンソン・ジ・アモール・ジマイス>の中に入れた<想いあふれて>は ボッサ・ノーヴァ最初の録音として夙に有名です。64年にはヴィラ・ロボスの <バシナーナス・ブラジレイラス第5番組曲>を歌い絶賛され、 68年には歴史的なライヴと言われているジョアン・カエターノ劇場で、 ジャコー・ド・バンドリン、エポカ・ジ・オウロ、 ジンボ・トリオとの共演ライブを行い録音したのです。77年には初来日、翌年にも再来日し、 そのステージは私の脳裏から離れる事は未だにありません。この模様もライヴ録音されています。 しかし、87年に3度目の来日を果たしてコンサート・ツアー中に胃がんが発覚。 一回はキャンセルしたもののステージを続け、帰国してから手術し3ヶ月後には復帰しますが、 1990年5月7日リオ・ボタフォゴにある病院で帰らぬ人となったのです。 70歳を目前にした死でした。 その葬儀は想い出のジョアン・カエターノ劇場から墓地まで数台ものバスが連なり国葬並みだったと聞いています。 生涯に50枚を超えるアルバムを発表し、今もCD化されて発売され続けています。

 それでは紹介していきましょう。

 エリゼッチの癒される声で始まる#1。軽いサンバのリズムが心地いいですね。 エリゼッチの代表曲の一つ#2。60年代のリズムが懐かしさを刻む#3。 コンサートでもこの#4が始まると拍手と静寂が訪れます。グっと胸にきますね。 再び軽いサンバのリズムに体が躍る#5。これもエリゼッチの代表曲の一つ#6。 伸びやかな彼女の声が風景を浮かび上がらせます。大ヒットを記録した#7。 ライヴ録音ですが、レコーディングと変わらない歌声が彼女の実力を示しています。 観客のノリもいいですね。もう代表曲が多すぎて困ります。この#8もその一つ。 バックのエレクトーンの音色がとてもいいですね。これも代表曲の#9。軽く体が動きます。 サンバのリズムの中に哀しみが覗く#10。楽しい風景が目に浮かぶ#11。 彼女最初のヒット曲#12。アーバンな雰囲気が漂います。とってもジャズっぽい#13。 ご機嫌です。アルバム最後の#14は、このアルバムのタイトルにもなっています。 勿論彼女のヒット曲の一つです。編曲に後のボッサ・ノーヴァへの影響がみられます。

 如何でしたか?初めて彼女の歌声に接した方は、 ブラジルにもこんな歌手がいたんだと驚かれたかもしれませんね。彼女の代表曲が沢山詰まった、 とても素敵なアルバムでした。アルバムの番号は、 MCSI-5286でオフィス・サンビーニャから出ています。 ブラジル音楽のコーナーかamazonなどの通信販売でお求め下さい。


2012.6.17