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秋ですね。秋と言えばシャンソン。今年はフランスの生んだ偉大な歌手、
エディット・ピアフが亡くなってから50年の節目を迎えます。そのせいか、
彼女のレパートリーを歌ったアルバムを出す歌手も多いのですが、
今年出たアルバムを幾つか聴いても何かピン!とこないのです。そんな時、
ミレイユ・マチューが今から20年前の1993年、ピアフ没後30年に発表したアルバム、
<ピアフを歌う>が新しく3曲を録音して再発売されることになりました。やはり、
ピアフの再来と言われただけあって、ピッタリします。 ミレイユ・マチュー。1960年代〜70年代には日本でも相当人気がありました。でも、 今の若い方は殆ど知らないと思いますので少し紹介してみましょう。 1947年、フランス南部のアヴィ二ョンで生まれた彼女は「歌の上手い女の子」と評判ではありました。 1964年、ピアフが亡くなった翌年、友達に進められて出たアマチュア・コンテストで決勝まで進み、 決勝ではピアフの持ち歌<バラ色の人生>をうたって優勝してしまいます。 その2年後、TVの人気番組<テレ・ディマンシュ>はピアフの再来と言われたジョルジェット・ルメール とマチューを登場させますが、マスコミがこぞってマチューを特集したことによりスポンサーが付くようになるのです。 当時、敏腕マネジャーと言われたジョニー・スタークは彼女を猛烈に売り込み、 1966年、ポール・モーリア作曲の<愛の信条>でデビューするとたちまちミリオンセラーを記録してしまいます。 その後もヒットを連発し、押しも押されぬスタートなっていくのです。 フランシス・レイやこのコーナー#9で紹介したエンリオ・モリコーネの作品集を作るなど、 その活躍は世界中を駆け巡るのです。70年代まではヒット曲を連発していた彼女ですが、 80年代になると少し陰りが見え始めます。しかし、86年に行ったパレ・デ・コングレという大ホールでの公演が大成功、 復活を果たします。その後はドイツやロシアで人気が出始め、 今ではドイツのレーベルでアルバムを発表する機会が多くなっています。 今回紹介するアルバムは、前にも言いましたように、1993年に出したものに3曲の新録音を加えた物です。 ピアフ没後50年に相応しいアルバムと言えるでしょう。 それでは紹介していきましょう。 ピアフの最後の恋人でのち最後の夫となるテオ・サラポとのデュエットでヒットした#1。 しっとりとした前奏で始まる#2。もうお馴染みの曲ですね。最後がとてもドラマチックな#3。 歌ってみたい曲です。映画<栄光への脱出>の主題歌#4。この曲はアカデミー賞歌曲賞を受賞しましたが、 フランスでは歌手で作詞家として大成功したエディー・マルネが仏語詞を付けてピアフが歌いヒットしました。 マチューにとっても想い出深い#5。ピアフにアズナヴールが提供した曲としても有名です。 多くの歌手がカヴァーしている#6。これも歌ってみたい曲です。ピアフ晩年の大傑作#7。 力強いマチューの歌唱は正にピッタリです。ピアフよりもジュリエット・グレコやジャクリーヌ・ フランソワの歌が有名な#8。ちょっとマチューの歌は力が入り過ぎでしょうか。 ピアフが南米公演の時に見付けて新たに詞を付け直して歌ってヒットした#9。マチューにピッタリですね。 日本では岸洋子が自ら訳詞し歌っているものがとても有名です。ピアフがジョルジュ・ ムスタキを伴ってアメリカ公演をした時に彼の作った#10を歌って大成功したのは余りにも有名なはなしですが、 とてもドラマチックな曲で多くの歌手がこぞって取り上げています。タイトルの様に駆け抜ける#11。 イヴ・モンタンでも大ヒットした#12。祈りを捧げる光景が見えてくる#13。とても感動的な歌唱です。 日本では岩谷時子が作詞して越路吹雪の歌で大ヒットした#14ですが、 原詩と余りにも違う内容で物議を醸し出した時もありました。恋人に対する無償の愛。感動します。 ピアフがシャンの友をバックコーラスに起用して世界的に大ヒットを記録した#15。 ここでもバックコーラスがいい味を出しています。アルバム最後の#16はとてもお茶目な曲。 アルバムの最後を飾るには相応しい曲ですね。 如何でしたか?やっぱりミレイユ・マチューがピアフの再来と言われたのが分かりますね。アルバムの番号は、 88725−44439−2でソニー・ミュージックから発売されています。シャンソンのコーナーか通信販売でお求め下さい。 2013.10.14
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