PETER ALLEN

I COULD HAVE BEEN A SAILOR



今回紹介するピーター・アレンは、私にとって、とても想い出のあるソ ング・ライターであり、エンタテナーなのです。というのも、私が、この 様に音楽に関する批評等を書くきっかけになった人だからなのです。
1975年、当時大スターだったヘレン・レディーの日本公演での話し です。彼女の第1部(いわゆる前座ですが)を担当したのが、彼、ピータ ー・アレンでした。大学2年の私は、当然の如く、ヘレン・レディーを聴 きに行ったのですが、前座であった、彼のステージを観て、ノック・アウ トされてしまったのです。そして、その時の批評を当時の音楽情報誌、[ コンサート・ガイド(後のシティー・ロード)]が取り上げてくれ 、初めて、物を書く事で、収入を得たのでした。その後、2年ほどコンサ ートの批評等を書いていたのですが、卒論や就職でこのページを始めるま での間、暫く(と言っても本当に長い間)書く事を忘れていたのです。そ れが、3年ほど前にシティー・ロードの最後の編集長と話す機会があり、 「50代になったら何もしたくなくなる。40代のうちに、また何か書い たら?」という一言が、このホーム・ページを始めるきっかけになったの です。ですから、ちょっと大袈裟ですが、ピーター・アレンがいなかった ら、このページも存在していなかったかもしれないのです。書きたいとい う気持を起こさせてくれた彼を、今ここで紹介できるなんて、なんて幸せ なんでしょうか。
さて、自分の事ばかり書いてしまいましたが、ここで、ピーター・アレ ンについて少し紹介しておきましょう。

オーストラリアの片田舎で生まれた彼は、小さい時から歌う事を夢見て いました。そして、10代中ごろ、リゾート地にあるホテルのオーディシ ョンに合格し、そこで知り合ったクリス・ベルと二人でデュオを結成、東 京を始めとしてアジア各地を巡業して廻ります。その時、たまたま香港の ヒルトンホテルに出演していた彼らを見た大スター、ジュディ・ガーラン ドが彼らの芸を気に入って、ジュディの前座を務める、という彼らにとっ ては夢の様な契約を結びます。そして、ジュディのロンドン公演で知り合 った彼女の娘、今では押しも押されぬ大スター、ライザ・ミネリとしばら くして結婚。アメリカのTV番組でもセミ・レギュラーを持つまでに なりますが、ライザとの結婚は破局。クリスとのコンビも解消して、ニュ ー・ヨークはヴィレッジにある《ビター・エンド》というコーヒー・ハウ スで弾き語りを始めます。その頃、彼とのコンビで後にヒット曲を連発す るキャロル・ベイヤー・セイガーと知り合い、二人で作った曲の評判もそ こそこだったのですが、その頃出した2枚のレコードは全く売れず、活躍 する場所もだんだん狭くなっていきました。
ところが、その彼に大きな仕事が舞い込みます。1970年台初めにバ リー・マニローが手がけた新人、ベッド・ミドラーの出演していたゲイ・ クラブ「コンチネンタル・バス」から、ベッドの後釜として出演依頼がき たのでした。ショーはそれまでに書いた曲中心でしたが、それらの曲を、 オープンしたばかりのクラブ「リーノ・スウィーニー」の出演者がこぞっ て取り上げていた事から、彼も出演する事になり、爆発的な人気を得る事 になったのです。
そして、その噂を聴きつけたレコード会社《A&M》の副社長キップ ・コーエンはただちに彼と契約。ファースト・アルバム《コンチネンタル ・アメリカン》を発表。その中の「愛の告白」はオリビア・ニュートン・ ジョンによってカバーされ、その年のグラミー賞を獲得したのです。それ からは「あなたしか見えない」、「愛しているからさよならを」、「フラ イ・アウェイ」、「ニュー・ヨーク・シティ・セレナーデ(ミスター・ア ーサーのテーマ)」等、数々のヒット曲を世の中に送り出して、とうとう 1988年12月26日、彼の念願だったブロード・ウェイで彼の作詞、 作曲、主演で、《レッグス・ダイアモンド》というミュージカルの舞台が 幕を開けたのです。(ちなみに、この舞台の脚本は《トーチソング・トリ ロジー》でお馴染みのハーヴェイ・ファイエスティンでした)しかし、1 年ほど続いた舞台が終わってから暫くした1992年、彼はAIDSの ため、永遠に私たちの前から立ち去ったのです。でも、私たちには彼の残 してくれた素晴らしい曲の数々があります。それでは今回再発されるA&M での4枚目のアルバム、《アイ・クド・ハヴ・ビーン・ア・セイラー》を 紹介していきましょう。

マーヴィン・ハムリッシュがプロデュースを担当した#1はアルバムの タイトルにもなっていて人生を感じさせる作品になっています。キャロル ・ベイヤー・セイガーとの共作#2はディスコ調で、ピーター自身の弾く ピアノも楽しそうですね。#2の二人にマーヴィン・ハムリッシュが加わ って作った#3は、打って代わってスローなバラッド。双子の少年を歌っ たこの曲は隠れた名曲というのに相応しい出来です。都会の虚しさを歌う #4。ロード・ムーヴィー風なアレンジがとても合ってます。#5はエヴ ァー・グリーンな有名曲。アメリカではメリサ・マンチェスターで大ヒッ トしました。日本でも、伊東ゆかりの歌や、この曲が東京音楽祭(懐かし 〜い!)でグランプリを獲った時のリタ・クーリッジで有名ですね。詩を ちゃんと読んで下さい。これは「詞」ではなく「詩」になっているのです から。
ストリングスのアレンジが美しい#6。ミディアム・テンポの#7は未 練がましい内容の割に、曲は楽しく、踊りだしそうです。ジャズ畑のカー メン・マックレイもレパートリーにしていたほど多くの歌手に取り上げら れている#8。こんな気持になることって、みなさんもきっとある事でし ょう。そう言えば、この曲、吉田美奈子も歌ってましたっけ。あ〜あ、こ んな気持を恋人に言ってみたいな、と思わせる#9は、これもまた美しす ぎるバラッド。リチャード・ティの弾くエレクトリック・オルガンがムー ドを引き立たせます。21歳の頃、パリにいた時の想い出を歌った組曲風 の#10でアルバムは終わります。

さて、如何だったでしょうか?3年ほど前に、彼の出身国オーストラリ アで、彼をモデルにして、彼の代表曲とともに綴られるミュージカル、《 Boy from OZ》が上演されて、大変な歓迎を受けました。外国ではとても 有名なのに、日本ではほとんど無名に近いピーター・アレン。このアルバ ムが再発された事に依って、彼の素晴らしさを多くの人に解ってもらえる と幸せです。

アルバムの番号は UICY-3117 で、ユニバーサル ミュージ ックより5月30日に発売になります。また同時に発売になる《バイ・コ ースタル》というアルバム(UICY-3118) も聴いて下さい。こちら はデヴィッド・フォスターがプロデュースしている、とっても恰好の良い アルバムです。