British Medical Journal Vol.319, p1618, 1999

● 医師が治療方針を決める8つの方法
 ある日のこと、A医師の外来に、「村の健康診断で血圧を測って貰ったら170/76mmHgと言われたのですけど、、、」と70歳を過ぎた男性が心配顔で来院したとします。A医師は、血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン写真から24時間自動血圧計まで、ありとあらゆる追加検査の結果、「収縮期高血圧(170mmHg)」以外何も異常が発見されなかったと仮定しましょう。さて、A医師はこの男性の治療方針を一体どのように決めるのでしょうか?

 医師ではない貴方にも簡単そうなこの疑問を、医師は何に基づいて、どう解決するのでしょうか?ある経験豊かな医師は長い臨床経験で培った勘から、「高齢者ではむしろ血圧を下げると脳梗塞の危険が高まるから、収縮期高血圧だけだったら血圧は下げない方がいい。」と判断するかも知れません。また別の中堅医師は「最近、立続けに脳出血の患者を診たけれど、全員が高血圧を放置していた。この患者も脳出血の危険を回避するために降圧剤で血圧を下げるべきである。」と判断するかも知れません。更に卒後2年目の新米医師は「卒業試験の時に65歳以上の高齢者でも収縮期血圧が160mmHg以上だったら降圧剤治療をするが正解だったよな。」と先の中堅医師とは別の理由で「治療開始」という同じ結論に行き当たるかも知れません。

 ところで収縮期血圧が高くとも今現在はどこと言って痛いところの無いこの患者さんにとっては、医師が何に基づいてどのように判断しようとも、自分がこれからも健康で長生きできて、しかもそのためにあまり費用や時間がかからないことが一番でしょう。でも貴方は「医師が一体何を根拠に治療方針を判断しているか」に興味はありませんか?

 こうした臨床上の疑問の解決方法の一つとして「Evidence-Based Medicine(EBM) :根拠に基づく医学」という考え方があります。例えばこの手法でこの70歳過ぎの男性の治療方針を考える場合、アメリカで実施された大規模臨床試験「高齢者収縮期高血圧研究計画(SHEP:Systolic Hypertension in the Elderly Program)」で得られたデータ(平均で4.5年間、降圧剤を服用したグループは同じ期間プラセボ<降圧剤と形は同じでも有効成分が含まれていない薬、偽薬とも訳します>を服用したグループに比べて脳卒中が36%、心筋梗塞が27%減少していたというデータ)から「降圧剤の治療を開始する」ことになります。こうしたEBMの手法を医師が用いるには、過去に実施された膨大な量の(真っ当な)臨床試験やその結果をメタアナリシスと呼ばれる手法で統合しオッズレシオが示されているデータベースに日常的にアクセスできる環境が必要です。大層なものに聞こえますが、この環境を構築するには実はCD-ROMドライブ付きPC1台(もしくはインターネット環境)があれば良いだけなのですね。このルーマニア大使館の医務室でもその環境にあるのです。

 さて、前置きが長くなりました。こうしたEvidence-Based Medicineの手法に代わる7つの手法についての洒落た短報がBritish Medical Journal Vol 319 p1618に掲載されています。
 それによるとEBMの手法をとる十分な根拠(Evidence)が無い時、医師はどのような判断様式を取るのかを次の7つ(EBMを除く)の手法に(根拠もなく:著者)分類しています。

1.Eminece Based Medicine(名声に基づく医療):
医師は年配になればなるほど、根拠に価値を置かなくなる傾向がある。こうした医師には「経験」はどんな量の根拠より価値がある。彼らは「臨床経験」を健気な位に信じ込んでいるが、この「臨床経験」は結局のところ「気も遠くなるくらいの長きに渡って、ますます自信を深めながら、同じ間違いを繰り返す行為」と定義されている。
この医療の評価単位は光学濃度であり、白髪の輝きを光度計で測定する。

2.Vehemence Based Medicine(激烈さに基づく医療):
根拠の代わりに自信のない同僚医師を脅しつけたり、自分の能力の類を相手に確信させる効果的なテクニックを用いる医療。この医療の評価単位はデシベルであり、声の大きさを騒音計で測定する。

3.Eloquence Based Medicine(弁舌に基づく医療):
一年を通じてこんがりと焼けた肌とボタンホールに差したカーネーション、絹のネクタイにアルマーニのスーツ、そして弁舌の全てが滑らかでなければならない。このような医療では優雅な仕立てと流暢な弁舌が強力な「根拠」の代替物である。この医療の評価単位は粘着度であり、弁舌やスーツの滑らかさをテフロンメータで測定する。

4.Providence Based Medicine(神の助けに基づく医療):
患者を介護するものが次に何をするかアイデアが浮かばない時、絶対者の手に委ねるのが一番である。不幸なことに、余りに多くの医師が神の決断に委ねることに抵抗できない。この医療の評価単位は「国際敬虔単位」であり宗教心の強さを礼拝時のおじぎを角度計で測定する。

5.Diffidence Based Medicine(弱気に基づく医療):
問題があるとその答えを求める医師がいる一方で、単に問題を見ているだけの医師もいる。こうした弱気な医師は絶望の観念に基づいて何もしない。それは、何もしないと医師のプライドが傷つくとの理由だけで何かをするよりは、当然ながら、まだましではある。この医療の評価単位は「溜め息」であり、陰気度をニヒルメータで測定する。

6.Nervousness Based Medicine(心配に基づく医療):
訴訟に対する怖れが、過剰な検査や過剰な治療を促す。訴訟恐怖症の状態にあると、唯一間違った検査はオーダーを考えなかった検査である。この医療の評価単位は「銀行残高」であり、訴訟恐怖度をありとあらゆるテストで測定する

7.Confidence Based Medicine(自信に基づく医療):
これは外科医だけに限定される虚勢に基づいた医療である。この医療の評価単位は発汗量であり、発汗テストで評価される。

因みに8番目のEvidence Based Medicine(根拠に基づく医療)は無作為対照試験の結果に基づく医療であり、その評価はメタアナリシスで行われ、評価単位はオッズ比となります。

この小論は最後にこう結ばれています。「実地臨床家は根拠がなくとも取るべき方法はいくつもある。然るに、医学はサイエンスであると同時にアートでもあるのだ。」


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