The Physician and Sports Medicine Vol.27 No. 13 December, 1999

● 死を招くスキーヤーの落とし穴、tree well

  日本ではワールドカップジャンプ札幌大会で斎藤浩哉が復活ジャンプを見せていた1月22、23日の週末、ここルーマニアでもどっさりと雪が積もりました。ブカレストから日帰りでプレデアルスキー場に出かけたスキーフリークの私も、ゲレンデで何人かの在留邦人の皆様にご挨拶させていただきました。いよいよルーマニアでも本格的なスキーシーズンに突入ですね。さて、今日は、この楽しいスキーの裏側、スキー事故についての論文をひとつご紹介しましょう。

 スキー事故といえば、皆さんはまず「骨折、捻挫、脱臼、エッヂでの裂傷」など怪我・外傷を思い浮かべるのではないかと思います。私も医学生時代にサンアルピナ青木湖スキー場の救護室のアルバイトをしていた頃、頭や手から血をだらだらと流している患者さんや、足をシーネで固定されてパトロール隊のスノーボートで運ばれて来た患者さんを何人かお世話(もちろんまだ医師免許取得以前ですからお世話だけですが、、)させて頂き、こうした外傷が多いことを実感しています。こうしたスキー外傷の中の最たるものとして木や岩への激突死があります。これは毎シーズン必ず新聞記事になりますから、皆様も容易に想像がつくしそれなりの注意もできるでしょう。

 また、雪崩もスキーヤーの死亡原因として忘れることはできません。上級スキーヤーが新雪を求め、一般ゲレンデを外れた雪面で雪崩事故に遭うことも良く報道されており、皆様もきっと注意されていることでしょう。

 更に、リフト、ゴンドラが原因の転落・巻き付き事故も死亡事故の原因として挙げられます。演習機にゴンドラケーブルを切られたら、自分がどう注意してとしても、防ぐことはできませんが、通常のリフト・ゴンドラの何が危ないかは容易に想像がつくことですから、これもスキーヤーの皆様は注意の範囲であると思います。

 さて、カナダのBritish Columbia州で17年間スキーパトロールを勤めていたRobert Cadman博士は、こうした一般的に良く知られている死亡原因以外に、何ら外傷もない「窒息死」がかなりの程度あることをThe Physician and Sportsmedicine1999年12月号中の論文"Eight Nonavalanche Snow-Immersion Deaths; a 6-year series from British Columbia Ski Areas"で報告しています。

 Cadman博士によるとアルペンスキーの死亡事故は100万ski visits当たり0.2-0.7。最近流行のスノーボードは0.46程度であり、他の交通手段に比べれば、危険性は低いとのことです。(確かに車より死亡事故は少ないですよね。)しかしスキーパトロールの経験のあるCadman博士は、針葉樹の根本に出きるtree well〔井戸〕などに頭から落ちて窒息するケースがかなりあることを報告しています。その数はカナダBritish Columbia州で1993年から6年間に発生したスキー死亡事故32件中の8件(25%)にものぼったそうです。(ところでtree wellは日本語では何と訳すのでしょうか。ご存知の方は教えてください。私の田舎、信州・北信地方では「がんぐろ」と言って、冬には炭焼きをしていた祖父や伯父が、この「がんぐろ」に入り炭の原料となる楢や桜の木を根本から切り出していたと聞いております。今風の顔黒厚底とは大分違いますね。)

 話を戻しましょう。Cadman博士はこうした雪崩以外の通常のスキー中の窒息事故についてデータベース調査をした結果、こうしたtree well転落事故は比較的上級のスキーヤーに起こり、しかも8件中5件はなんとスキーコースの中で発生し、内一件はスキー教習中の事故であったこともつきとめました。この事故の死亡者8名の内一人を除いて、被害者には全く外傷もなく、窒息が直接死因であったことも共通点です。こうした事故は特に大雪の後のゲレンデで起き、同行者がいた場合にも「先に下りたのだろう」とか「後から来るのだろう」との憶測で蘇生開始までに15分から20時間もかかっているとのこと。ゲレンデは良くある会話ですよね。

 この論文が凄いのは、調査に加え実験による実証データを加えていることです。Cadman博士はtree wellを模した雪の穴を掘り、万全の救助体制の下で10人のボランティア(スキーヤー6人、スノーボーダー4人)に頭からその雪の穴に跳び込こんで貰う実験をしました。その結果、スキーヤーが金具(ビンディング)を外すことができるのは穴深く落ちた時に限られ、ほとんどの場合はスキーは外せなかったそうです。また、スノーボーダーに至っては全くボードを外すことは不可能とのこと。しかもスキーウエアーは雪の中でもがいているうちに、胴の部分がだんだん頭の方にめくりあげられて、棺おけのように両手の自由を奪ってしまうばかりか、胴体を剥き出しにして肝心の体温保護の役割も果たさなかったとのこと。これによる低体温も死因に関わっている可能性があると類推しています。(やっぱり流行遅れでも私が10年前に買って今でも愛用しているワンピースの方がいいですよね。本当は買えないだけなんですけど、、、)

 この論文ではスキーヤーの半数はスキー中の死亡原因について無知であることを調査した別の論文のデータも引用されています。「君子危うきに近寄らず」「敵を知り己を知らば百戦危うからず」の喩えを引くまでも無く、新雪の林間コースがどんなに魅惑的に見えても、木々のかたわらには「死への落とし穴」があることを記憶に留めておいてください。これからの本格的なスキーシーズン、このルーマニアのスキー場でも事故なく楽しく大自然を満喫したいものです。


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