ACP Journal Club Sep/Oct 2000 (Med Care. 2000 Jan;38:7-18)

●患者さんへの医師の声かけで社会的損失が減る
   -医療経済学的指標による評価-

 今や医療の最先端ではCTやMRIなど高額医療機器が診断に用いられ、複雑な手続きや特別な施設が必要な臓器移植や遺伝子自体が治療の主流になっていく感があります。この時代に医務室で笑顔と聴診器ひとつ(実はレフロトロンや超音波診断装置もあることはありますが)で患者さんの訴えに耳を傾けている医療にどれほどの社会的意義があるのかふと考えることがあります。しかし、世の中同じようなことを考え、しかもきちんと「定量的に」評価している人もいるのですね。今回の話題は、Wisconsin大学薬物依存研究教育センターのFleming博士らによるの論文の紹介です。

<治療効果判定の指標>
 さてさて、今回の話しを始める前に一般的な治療効果判定の物差し(指標)についておさらいしてみましょう。これは分っているようで、実際の医療現場では今もって誤解がまかり通っています。実は「治療をした。しかるに効いた。」との判定でまかり通っている治療法や治療薬が実はごまんとあるのです。

 治療の効果を測る方法にはいろいろあります。例えば、がんの治療法のひとつにA薬と言う抗がん剤があったとします。このA薬の効果を調べるのには、まず、ある一定以上数のがん患者さんを偏りなく(無作為に)二つのグループに分けます。(症状の軽い患者さんと重い患者さんと二つにわけるなんてもってのほかですよね)
 こうしてあらゆる観点から均等に二つに分けた一方のグループにはA薬を投与し、もうひとつのグループにはとプラセーボ(色形味など、A薬と見分けがつかない有効成分の全く入っていない薬剤(通称偽薬)を投与します。この場合、医師にも患者さんにもどちらの薬剤が投与されたのか分らないよう(二重盲検法)にしておく必要があります。(予めどちらかを知っていると医師と患者の「気合」に差が出てしまいます。そもそも「治療薬」となるのかどうかを判定するための臨床試験を行うに当たって、あたかも一方が既に治療的効果があるがごとき「幻想」を抱いて行われた試験の結果、「有効」とされた薬が「治療薬」として社会に出まわる恐怖を考えてみてください。その意味で臨床試験は参加者が自由意思のもとに参加する科学性が保障された「試験」であって「治療」ではないのです。おっとわき道にそれました。

 さて、こうして2つに分けられたグループ間で以下のような指標を比べます。

  1)患者さんの血液の中のがん細胞由来の腫瘍マーカーの量
  2)CTで撮影されるがんの大きさ
  3)生存日数(年数)
  4)患者さんの生活の質(クオリティーオブライフ))

 1)や2)は一見科学的な指標のようではありますが、「新薬Aは従来の抗がん剤Bより腫瘍マーカーの上昇率を抑えることができた」とか、「がんの塊が2倍の大きさに増大するのを3ヶ月遅らせることができた」とか言う類の患者さんにとっては「50歩100歩」の世界で使われる指標です。その意味ではあまり本質的な指標(真の指標)ではなく、「仮の指標」と呼ぶべきものです。
 3)は人間にとって一番本質的な指標のようでありながら、実際は5年生存率(治療開始後5年間生存する率)とか治療が困難な領域のがんでは1年生存率で比較されるものです。また、「治療によって命は半年延びたが、治療開始後はずっとベットで寝たきりで食事も自分で取れず、トイレにも行けなかった」という場合も「結果的に命は半年短かったが最初の1年間はなんとか仕事を続けていた」と言う患者さんより「効果あり」と評価されてしまう問題点もあります。なにか「患者を見ずしてを病を見る」の感がありませんか?そこで、患者さんの生活の質を考慮した4)のような指標も薬剤の効果判定に導入されています。しかし患者さんの生活の質を評価すると一口で言っても、、、これはこれで結構定量化が難しいものですね。

<医療経済学的指標>
 今述べたような指標の他に最近「医療経済学的指標」が注目されてきました。これは限られた資源を人類のためにいかに有効に使うかという観点に注目したものです。この方法により「地球より重い命を救うには金に糸目はつけない」という聞こえは良くても不公平や浪費を内在する治療法を経済学的観点から評価することができます。もちろん経済学的指標が唯一無二の指標と言うわけではありません。評価のひとつの尺度ということですね。 例えば、胃の集団検診とか予防接種を公衆衛生学的にMassで評価するには適した指標です。

 この医療経済学的分析の方法のひとつとして費用効果分析があります。今回紹介する論文はこの方法を用いて二つに治療方法を比較したものです。

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2000年一月にFleming MFらによって発表された研究"Benefit-cost analysis of brief physicain advice with problem drinkers in primary care settings."要約を要約すると以下のようになります。
<解決すべき疑問>
  飲酒に問題がある患者さんに医師が外来でアドバイスすることは費用に見合った効果があるかどうか?

<試験の方法>
 アメリカ合衆国のWisconsin州にある17のクリニックの64人の家庭医や一般内科医がこの試験に参加しました。試験方法は無作為対照試験(ちょっと難しい言葉ですね。でも最も科学的な方法のひとつなのです)による費用効果分析。12ヶ月間患者さんの経過を観察し評価しました。

<対象となった患者さん>
  18歳から65歳までの男女合計774名(男性62%)
  アルコール飲料をアルコール換算で毎週168g以上飲む男性あるいは132g以上飲む女性
   (これは水割りにして毎日2杯、ビールの小瓶一本程度)
  但し以下の人は除く;一週600g以上飲む人、自殺企図のある人、妊娠中の人、アルコール治療プログラム
  に参加している人、過去にアルコール離脱症状があった人など、、、。

<介入>
  患者さんを医師アドバイスグループ(392名)と対照グループ(382名)に分けました。
  医師アドバイスグループは1ヶ月開けて2度来院し、医師からアルコール飲用を控えるようアドバイスを受けました。その際、医師は患者さんの健康に関わる行動様式や過去の起きた問題飲酒歴、更にアルコールの副作用やアルコール飲用の契機についての医師の立場からのフィードバックを紙に書いて患者さんに渡しました。またアルコール日記も手渡しました。2回の面談以降は電話によるフォローアップもしました。
  
  一方比較対照グループの患者さんにはアルコールについて記した一般的な小冊子だけを手渡しました。

<評価の指標>
 費用は医療機関の観点からは医療機材の費用および人件費から計算されました。また患者さんの観点からは賃金の損失分と交通費から計算されました。
 一方効用は医療機関の受診、訴訟問題、交通事故それぞれに関わる費用の節約分で評価されました。

<結果>
  医師がアドバイスするグループにかかった費用は
   ★医療費(スクリーニング、評価、スタッフ訓練費、電話料金など)165.65ドル/人
   ★患者の損失(交通費、通院により失った賃金)            38.97ドル/人
                                      合計  204.62ドル/人・・・@
  医師がアドバイスするグループが対照グループと比較して節約した費用は
   ★医療費(アルコール性肝炎、交通事故治療等にかかった費用) 523.00ドル/人
   ★訴訟や交通事故に関わる費用                     629.00ドル/人
                                       合計 1152.00ドル/人・・・A
  A-@で差し引き、患者一人あたり947ドルの節約と言う計算になります。
  対費用効果で見ると10,000ドル投資につき56,263ドルのリターン(節約)となる計算です。

  医師がちょっと工夫した面談をするだけで患者一人あたりで1000ドル近くも社会的損失を減らすことができるとは、聴診器ひとつの診療所も捨てたものではないとこの論文を読んでちょっとホッとしたました。しかし、ちょっと待てよと気付いたのは、これは医療費も訴訟費用も天を突くほど高額なアメリカでの話なのですね。つまりどこの国でも当てはまるとは限らないのです。そう言えばこの試験で飲酒量や交通事故の発生率について評価すると、医師がアドバイスしたグループの方が対照グループと比較して数値的には減少しているものの統計的には有意差が出ていなかったのですね。アメリカのような高度に資本主義が発達した国ならではの鋭敏な指標と言えるのかもしれません。そんな訳で、私の疑問はまた振り出しにもどってしまいました。こうして悩む時間に浪費するコストと、悩むことにより得られる恩恵と、、、などと計算している間に笑顔で診療することに致しましょう。


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