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名前:小林 田鶴子(こばやし たづこ)Tazuko Kobayashi

田鶴子の鶴は「づ」。よって厳密にいうとzu表記は正しくない。”鶴”は画数が多くて書くのが大変だけれど、日本サウンドスケープ協会の方から「日本の和歌の言葉の響きを残すいい名前」といわれ、この名前をつけるきっかけとなったおばあちゃん(だと聞いている)に感謝。

出身:神戸

中学まで神戸市に住む。阪神淡路大震災の時は東京にいたが、生まれた町は火災で跡形もなくなった。幸い家族・親戚にけが人などはいなかったが、友人に親兄弟をなくした人もいた。今でも震災後初めて神戸を訪れた時の変わり果てた町の姿が忘れられない。

青春(?)時代:大阪

高校から父の勤務の関係で大阪に引っ越し。その為高校受験は神戸市から大阪府の高校を受験。高校探しに、母(1999年に年亡くなった)が何度も大阪に行ってくれた。そのお陰で他府県受験に合格できたのだと思う。なお、今年父が母の闘病記「敬子(ゆきこ)」をオンデマンドにて出版。

音楽大学を卒業後、大阪教育大学大学院にいく。当時まだ、草分け時代だった「創造的音楽学習」に興味を持ち、修論のテーマに。今は亡き星野圭朗先生が指導される東京学芸大学付属竹早小学校に大阪から通った。その時当時、松戸市立第六中学校で「音具作り」を実践されていた谷中優先生とも知り合う。

大学院修了後、音大の付属機関や専門学校に勤務。大学時代から興味あったシンセサイザーなどを使った音楽専門の指導を行っていたが、「子どもの自立学習を促すシステム」というキャッチにひかれて、民間教育機関(学習塾)に転職。

現在:東京

学習塾の本社が東京にあったため本社勤務となり東京に住む。そこの教育研究所で「創造性教育研究会」の主任研究員として、パソコンを使った教育について研究・実践。1992年より北海道での体験学習を企画・運営・指導。1996年からは上海の子どもたちとの相互交流体験学習も行う。

1998年の体験キャンプを最後として、会社都合によりその体験学習ができなくなった為、1999年4月に静岡県本川根町にオープンした音のミュージアム「音戯の郷(おとぎのさと)」に研究員として勤務。

現在は、以前から行ってきたパソコンを活用した音楽教育について研究。また各地の学校をまわって講習会や研究授業の講師を務めたり、実践事例を集めたり、新しいソフト開発の手伝いを行っている。

仕事柄出張が多いので、趣味はさしあたって”旅行”。国内でまだ行っていない県が宮崎、鹿児島。今年(2002年)9月に念願の沖縄に行ってきた。

*上のイラストは妹による似顔絵。(似てるかな?)


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