淀江の三輪神社 (考)




三輪神社は全国に数多いが、米子市淀江の三輪神社は謎に満ちている。

例えば、
大和三輪山の大神神社から淀江の三輪神社に、毎年2頭のオオカミが春の祭りに遣わされる、などはとても尋常なことではない。
他の三輪神社に例があるのだろうか?



古い起源

淀江の三輪神社は、第10代 崇神天皇7年(AD249年)に、大和三輪山から勧請されているが、
ヤマト朝廷による三輪山祭祀が、大田々根子 に託され始まったのが 崇神天皇7年なので、三輪山祭祀と同時期になる。
もちろん卑弥呼が朝廷の神事を司っていた時代だ。


この年、諸国に疫病が流行り、天皇が夢のお告げによって大神神社の祭神を祭らせたところ、疫病が鎮まった。
そこで天皇は、大神神社の分霊を諸国に移して祭らせ、淀江の三輪神社もそのうちのひとつ(伯耆国の三輪神)と云われている。
しかし、淀江の三輪神社(旧社地)は、倭迹迹日百襲姫が卑弥呼として即位(AD185年)した「卑弥呼誕生の地」なので、歴史はそれよりも古く、他の三輪神社とは別格だ。
狼神事は、その別格さを物語っているのではないか?




大和朝廷にとっての聖地

三輪神社の一帯の 佐陀・中間・小波・平岡地区を合わせて「大和村」と (以前は)呼んでいたのは、三輪神社の氏神が大和とつながっている由緒に基づいてる。
( 現在、淀江公民館大和分館 、市立大和保育園、、大和郵便局、そして公園運動広場が「大和」の名前を残している。)


緑線で囲まれたエリアが、旧「大和村」

      ↓
三輪神社の領地であり、
大和朝廷の伯耆の国に於ける直轄地。




倭の大乱後、大和・出雲双方の代表が集り和平を締結し、卑弥呼が共立された(AD185年)この地は、大和朝廷の聖地だった。
その後、大和三輪山の分霊を祀ることになった(AD249年)際に、当然この聖地(三輪神社・旧社地)に祀り、領地を付け、毎年使節(オオカミ)を遣わした
この四地区は三輪神社の荘園(大和の直轄地)だったのだろう。


壮麗な社殿や大鳥居、三重塔のある神宮寺などが立ち並んでいた時期もあったという。
その後、直轄の荘園が、地頭らによって奪われ、又 兵火で施設も焼失し 没落していったのだろう。
現在の三輪神社の佇まいを見ると、とても信じられないが、かつては大和朝廷の聖地であったという痕跡が、旧・大和村という名称で残っているのだろう。


広報よなご(2014年2月 107 最終頁)によると、三輪神社は昔は、阿弥陀川 から日野川 に至る 51カ村の総氏神だったと。







三輪神社には、「狼神事」の他に、
冬至の日に大山山頂から昇る朝日を拝む神事や、天の真名井にかかわる若水汲 などの神事があるのでは?、と信じている。
いずれも卑弥呼誕生にかかわる儀式だ。



            (2017.08.21)