2017.1.14



2017年 1月 9日(月) 


國學院大學博物館 「火焔型土器のデザインと機能」 特別展に行って来た。


とにかく実物をたくさん見て、放出されるエネルギーを実感しなくては、と思っていたモノたちだ。

信濃川流域出土の、火炎型土器・王冠型土器が ずらっと並んでいた。

土器だけでなく、土版、土偶、石棒、ヒスイ大珠なども展示されていた。




アンケートを書いて提出したら、立派な収録図版(116P)をいただいた。

お正月のお年玉のようで ラッキーであった。


展示物に圧倒されながらも、火焔型土器の、目を驚かせる大胆な装飾の意味を知りたい、と感じた。








展示コーナーに 3つの説明文があった。 収録図版から要点を紹介する。



第1章 火焔型土器の誕生

『..火焔型土器は、約5,000年前、縄文時代中期中葉、中部地方の日本海側に発達した縄文土器様式である。  存続した期間は実年代で300年ほどと思われる。..
 火焔型土器は、新潟県を貫流する信濃川流域を中心に、北は山形県境、西は富山県境、そして東から南方面は山並に妨げられながら群馬県、福島県、長野県に囲まれている範囲に及ぶ。
 略 』



第2章 火焔型土器と王冠型土器

『 略
  典型的な火焔型土器や王冠型土器は、縄文土器の名の由来である縄目の模様「縄文」がない。 ..
 火焔型土器と王冠型土器のそれぞれの明確な違いは口縁部にある。
 火焔型土器は水平の口縁に大きな4つの鶏頭冠突起と鋸歯状のフリルがある。
 一方、王冠型土器は4つの突起と一体になった波状口縁となる。

 火焔型土器や王冠型土器は、観賞用作品でない
 火焔型土器や王冠型土器の多くには内面にオコゲが残り、ほかの大多数の縄文土器と同様に、食品の煮炊きに使ったものと考えられる。
 日本列島の古い土器では魚類を煮ていた可能性が推定されている。
 −略ー
 脂質の分析では、信濃川上流の遺跡出土の土器は、サケのように海洋で大半を過ごした海産資源を煮炊きしていたことを示している。 』



第3章 火焔型土器のココロ

『火炎型土器は食品を煮炊きした。火炎型土器に求められる機能として、必要な容量が確保されれば十分に事足りる。
 それゆえに口縁の突起は土器の使い勝手に直接関わらない。人目をひく大きな突起は無用の長物であり、むしろ食品の出し入れの障害物である。
 また、口縁部に突起があるがゆえに土器の重心は高くなり、不安定で倒れやすい。 使い勝手が悪いうえに消費する粘土、製作に費やす労力もばかにならない。

 火焔型土器の突起が煮炊きの機能を実現するカタチの問題ではなく、縄文人の世界観に関係することを示唆する。
 人類が開発した生命維持にかかる土器あるいは道具全般は、総じて人類の能力を補うことを目的に、効率を重視した機能一辺倒のカタチがデザインされる。
 対して火焔型土器は効率を犠牲にしても、縄文人の心象が投影されて、はじめてデザインが成立する。

 略  』







ずらっと 火焔型土器が並んでいる光景は迫力があった。


何故 このような装飾を創り上げたのか、知りたかった。




帰って、縄文人の生命観・食事観について、あれこれ推測し 自分なりの仮説をたててみた。

まず、
・縄文人は自然と調和した循環型の定住生活を送っており、自然物には精霊が宿っていると信じていた、と考える。
・食事は、精霊が宿っている自然物(植物、動物、魚介)を、自らの体内に取り入れる行為で、
 同時に、精霊をも摂取することで、それらの怒り・祟りが乗り移らないように、浄化する必要を感じていた。


     

・煮炊きに使われる土器には、精霊を浄化する祈りの呪力が備わっていなければならない。
・火炎型土器の装飾は その浄化のための祈りの装飾と考えられる。 
(器は、装飾を伴うことにより、精霊を鎮めて、ヒトの体内に取り込むコンバーターの役割を果たす。)


     

・火焔型土器は、信濃川流域の縄文人が創り上げ、その土地に深く結びついた装飾であり、サケの精霊を浄化し、翌年も豊漁を祈願するためのものと考える。




 装飾の意味

火焔型土器の口縁部を囲む三角形(鋸歯状フリル)は
川波で、信濃川を意味し、4つの鶏頭冠突起は 跳ねるサケを表したものである。

鶏頭冠突起は内側から見るもので、サケの頭〜半身を表し、水中のサケの表示のために三角の波文様を上に載せてある。 そのため、鶏頭のように見える。

跳ねるサケは、躍動感により生命力溢れる様を表現している。 サケを讃えるため、その姿を口縁部から高く突出させている。

煮炊きされる土器の中のサケは、信濃川を抽象化した器の中にいるわけで、土器から出して食べる行為は、川の中から漁獲する行為と重なっている。

この土器での煮炊きにより、サケは浄化され、サケの精霊は、サケ魚形下の「
ハート型の穴」から、食する人の心に移動し、収められる。

      

縄文人は、火焔型土器による煮炊きで、サケを浄化し、摂取し、更に 豊漁を願う、という生命観・食事観を抱いていたのだろう。

 




火焔型土器が出土している地域は サケが遡上している場所と重なるのか?


下の図によると、信濃川流域から離れた、「サケを漁獲する土地」の遺跡で火炎式土器は見つかっているようにも感じられる。

出土北端の、山形県遊佐町の柴燈林さいとうばやし遺跡は、その丘陵の下には吹浦湾に注ぐ月光川が流れ、
私はその支流の牛渡川のサケの遡上採取場(箕輪鮭孵化場)を訪れたことがある。


柴燈林遺跡に次ぐ南での出土は、新潟県村上市の高平遺跡
ここはサケで有名な三面川の支流にあたる。




他に多くの遺跡がプロットされているが、全てがサケに関係した場所かは わからない。













王冠型土器の装飾の意味は?

王冠型土器は、縁口部に波の三角文様が無い。 (写真左)



河川からではなく、大地からの恵みを表現する装飾である。

4つの突起は、大地から伸びる植物の生命力−例えば ノビルなど を表現したものだろう。



縄文人は、河川からの恵みと、大地からの恵み −双方の装飾土器を造っていたのだった。
  左:王冠型土器   右:火焔型土器








 結 語


 縄文人たちは、もたらされた恵みを食べるに際し、それを浄化し、精霊たちに感謝し、次なる豊漁・豊作を願った。
 その気持ちを伝えるため、煮炊きの土器に、その旨のメッセージであり 呪力でもある 目を驚かせるような装飾を、付け加えたのであった。
 大きな労力を費やして..





 ≪ 追 記 ≫   2月5日(日)


最終日なので、再び火焔型土器展に行って来た。

前回、鶏頭冠突起は内側から見るもので、サケの頭〜半身を表し、水中のサケの表示のために三角の波文様を上に載せてある。と判断した。

今日、外側から受ける印象を整理してみた。
すると、ヒトが、波をかぶったサケの頭部を掴んでいるようにも見え、波をかぶったサケを抱いて祈念しているようにも見える。と、いうことに気づいた。 

内側からの視線と、外側からの視線 とでセットになっている物語のようだ。
ヒトは(サケ同様に)極端に抽象化され、宇宙人的だが。

 手前が、波をかぶったサケを掴んでいる。 (初期 火焔型土器)    手前のヒトは抽象化されている。




火焔型土器は、洗練され、造形美の極みであり、5000年前ーピラミッドも、殷王朝の成立もまだーに造られている。

装飾の解釈は ひとそれぞれでいいと思っている。
ただ、火焔型土器は、縄文人が 何かを祈念しながら 真剣に形を整え造形し、やはり念じながら焼き上げた特別なもので、
器には気持ちが込められている。ということを忘れてはならない。

展示の場で、それを感じられたことが貴重だった。
(2017年2月5日)




<後 記> 

素人の印象記である。

研究者ならば、サケの豊穣を祈った装飾と思えば、先に言及した研究があるか調べるだろうが、その関心は無い。
火焔型土器の研究者なら、内心ではサケの煮炊きに関係していると感じ、仮説を抱いていると思う。
しかし、装飾の意味は、縄文人に聞くのが一番だけど、それが出来ないので黙っている。

これは隠居の道楽としての 雑文であり、その好奇心を満足させるための仮説である。

 


backtotop.gif (3095 バイト) 2017 1月 14日  宇田川 東