2007年5月12日(土)



   五月晴れの薫風のなか、神田川を船で遡ってきました。

 
  
神田川は日ごろから親しんでいる川です。
    水源地の井の頭公園は近くです。 子供のころは、井の頭線・高井戸駅脇を流れる神田川は遊び場でした。
  神田川支流の善福寺川と、善福寺川緑地公園は家のすぐそばです。
   
    一方、お江戸日本橋の下を流れる日本橋川は、八重洲(一丁目)にある職場のすぐ近くを流れています。

 
    余談ですが、八重洲一丁目は昔の日本橋檜物町で、ここは日本橋芸者を有する花街だった地域です。 
   泉鏡花の小説・戯曲 『日本橋』 の舞台で、瀧の家の清葉、稲葉屋のお孝さんらが登場するこの小説では、
   一石橋 の場面が重要で有名です。 芝居では檜物町の 『割烹 や満登』が登場するそうですが、ここは
  今も健在で、  時々、安くて美味しいランチを食べに行ってます。 

    従って、常盤橋、八重洲1丁目の一石橋西河岸橋、隣町の日本橋は昼飯後の散策圏内で日頃のお馴染みさんです。

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    さらに、神田川は、井の頭の源流から隅田川に注ぐ柳橋までを、3回に分けて歩いたことがあります。
    善福寺川も源流から、神田川の合流地点まで歩いてます。


  とにかく、日常的に最も親しんでいる川なのです。


 4月初旬、や満登に置いてあった タウン誌 月刊 日本橋』で 「神田川船の会」が神田川クルーズの乗船者を募集してるのを発見!
 早速 応募。

 

 

 《クルーズの内容》
 ・両国がスタートです。 隅田川(大川)を少し下り、柳橋から神田川に入ります。
  神田川を上り、後楽園の先の三崎橋地点で、神田川から分流する日本橋川に入り、そのまま また隅田川まで下ります。

 ・隅田川を両国に戻る途中で、小名木川に入り、扇橋の閘門体験をします。

 ・下がコースの略図になります。
  左下の両国の船着場が出発点です。(この図はスペースの関係か、左手の隅田川が狭く描かれています。)

 

 




5月12日(土)  快晴 日差しが強い。

 両国国技館の向かいの東京水辺ラインで8時50分から受付。
 船は5号船。最後の船。 1号船から5号船までで約180名の募集定員です。

   船乗り場   前の船の乗船光景

 

参加者は年配者中心かと思いきや、若い人たちも多く ちょっと意外でした。
船は5隻でしたが、狭い水路を通るので、小型の釣り船でした。

 9時過ぎ隻の船が出発しました。
 1号船は、JRの鉄橋の下あたりに見えます。
 その先に両国橋の橋げたが見えています。

 (赤い1号船、白い2,3号船、黄色の4号船、
  緑の5号船です。)

 神田川が隅田川に合流する地点は、両国橋の
 すこし手前で柳橋が架かってるところです。

 

 
 大川から見る神田川の出口です。 架かっている柳橋が見えます。
 いよいよ 遡上開始です。

柳 橋 屋形船・小松屋

 柳橋の左手には、屋形船の老舗 「舟宿小松屋」 の建物が川の中から建ってます。
 両岸には ずらっと屋形船が係留されています。 川が綺麗になり、屋形船も戻ってきたのです。

  春の夜や  女見返る  柳橋                    正岡子規

 

 このあたりは川幅もあり開放的な感じがします。
 そろそろ秋葉原の電気街です。
 

浅草橋   和泉橋   柳森神社
 川岸には、柳と屋形船が。    和泉橋は昭和通です。首都高が上に。   柳森神社から下流一帯は、柳原の土手で、夜は夜鷹の名所だったところです。お兄さん..(笑)

 

 いよいよ 秋葉原の電気街に入りました。
 立派な造りの万世橋を潜り抜けます。 まさか この橋を下から見上げられるとは!


万世橋   交通博物館   聖橋
橋の歴史は古いが、このアーチ橋は震災後の昭和5年(1930年)に造られました。    前方に見えるのは昌平橋です。総武線の
 高架も右手に見えています。
  綺麗なアーチの聖橋です。夜はライトアップされます。ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ橋からこの名前がつけられました。

 

 地下鉄の橋を越えて、JRお茶の水駅の脇にやって来ました。

JRお茶の水駅   JRお茶の水駅     お茶の水橋
      プラットホームです。    駅の端のお茶の水橋です。

 


一方こちらは駅から見る神田川です。
この日の朝、両国に行くため中央線から総武線に乗り換える際に撮った写真です。
日頃慣れ親しんだ光景ですが、数時間後に この下を5隻の船で上ったのでした。

 ホームから上手のお茶の水橋を  ホーム下の神田川  下手の聖橋と その奥は地下鉄の橋

 


 

 中央線
中央線の電車を見上げて眺めることは通常出来ません。
年に何回か企画されるこのようなイベントぐらいでしょう。

 

 新緑の渓谷美を楽しみながら船は上っていきます。

       
この台地を掘り抜いたのは仙台藩でした。 幕府は試掘だけで、あとは全て仙台藩に命じたそうです。    この神田台地を掘った土は埋め立てに使われました。

 

 これは ショート・ムービー(66秒)です。

 万世橋から お茶の水の渓谷を上がっていきます。
 案内の方の説明入りです(笑)

 この船の会の雰囲気がよく出ています。

 ← 画像クリックでムービー再生 (YouTubeに保存)
     

 

 

 

 水道橋を越えると、神田川は狭くなり、ビルとビルの谷間に入ります。
 水道橋駅から後楽園ドームへ向かう後楽橋の下を通過すると、神田川と日本橋川の分流地点がすぐです。

後楽橋   後楽橋   三崎橋
 新緑の谷間から一転し、ビルの谷間です。    東京ドームへ行き交う人たち   日本橋川への分流点が近づく。

 

 

三崎橋の手前で神田川とお別れし、日本橋川に入ります。

日本橋川の頭の上には首都高が走っており、うっとおしい感じです。
お城に近いので武家屋敷地域だったそうです。

江戸時代の古い石垣が残っていたりしてます。

 

 日本橋川への分流点     首都高が上を走る
        矢印は船のコース    

 

神田川が分流した、三崎橋から下流域は日本橋周辺を除くと未体験流域です。

堀留橋   俎橋(まないたばし)   江戸時代の石垣
    幕府の台所番の役宅が近くにあったところからこの名称。九段下になります。    錦橋までの右岸で見られます。


 川は江戸城の内堀に沿って流れています。

雉子橋   一ツ橋   気象庁
流れは二手に分かれます。右手は竹橋を経てお堀へ。左手が雉子橋です。 家康の好物のキジを飼育していた土地からの名称です。    右手に一ツ橋御門跡があります。   一ツ橋の次の錦橋を過ぎると右手は気象庁の建物です。 

 

前方にJR中央線のオレンジ色の電車が見えてきました。やっと 東京駅に近づいてきました。
職場近くに到着です。しかし、川から見る風景はまったく異なります。

川から見る中央線の電車はとても目立ちますが、一方、電車の車内から日本橋川は全く意識したことはありませんでした。

 

神田橋 JRの橋@ JRの橋A
 
このあたりから右岸は大手町のビル街です。
経団連会館などが並びます。 
神田駅を発車した中央線の電車が通過しています。 まもなく東京駅です。 

橋桁に掲げられた旧国鉄の紋章です。 
動輪レリーフです。

 

 

 常磐橋    一石橋
 左の建物は日本銀行です。敷地は昔の金座跡です。
 右手の公園内には常盤橋門跡が残っています。
  懐かしい一石橋です。左岸・右岸に後藤家が2軒あったところから五斗+五斗=一石 との江戸のシャレです。

 

 職場から一石橋までは3ブロックほどの距離です。
 今は首都高の出入り口があり、泉鏡花の世界は残念ながら全くありません。

 

  

 映画「日本橋」は、山本富士子、淡島千景、 若尾文子の日本橋芸者が出てくる、市川崑監督作品(1956年)です。 
 その 一石橋のシーン 三景を。         

 日本橋川は左手から流れてます。
 川岸は蔵が建ち並んでいます。
          葛木 と お孝  雪の一石橋。 山本富士子の清葉姉さん

 川べりの風景は、泉鏡花の「日本橋」の装丁を手がけた日本画家 小村雪岱(こむら せったい)の絵 (一石橋から西河岸橋あたりの蔵が
 建ち並ぶ川岸) を参考にしたのでしょう。 

 

  


 
 さて、いよいよ 日本橋 です。 

 旅立ちの出発点。 五街道の里程の基点です。
 この橋を潜り抜けることが出来るとは! 感慨深いものがあります。

 日本橋    日本橋
     

  この石橋は明治44年(1911)に架け替えられました。

 

 日本橋    日本橋    日本橋
 いよいよです。 (三越の新館が左に)      この瞬間 全員が注目です。   通過してから振り返る (日本橋中央石柱)




日本橋の左脇に魚河岸跡の碑があります。 江戸の昔から関東大震災で築地に移るまでの長い間、ここに魚河岸があったのです。
そのため、この一角には海産物を扱う老舗が多いのが特徴です。

かつお節のにんべん、 かつお節の大和屋、 かつお節・乾物の八木長本店、 海苔の山本海苔店、 はんぺんの神茂(かんも)、 佃煮の鮒佐
佃煮の日本橋貝新お茶と海苔の山本山などが有名です。   

神茂は今も地下の作業場で手作りではんぺんを作っているそうです。江戸っ子の大好物で自慢でもあるはんぺんは、ふかヒレを取った残りものを原料とした、白いはんぺんなのです。 白色への自慢は、田舎モノにたいする江戸っ子の心意気で、永坂更科のソバにも通じるところがあります。
 それと忘れがちですが、かつお節(枯節・本枯節)は、何回ものカビ付け工程を経て造り上げられる高度な発酵食品なのです。


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日本橋魚河岸というと忘れられないのは

   目に青葉    山ほととぎす    初鰹                山口素堂

江戸の初鰹熱はすさまじいものがあったようです。
初鰹の出始めは4月(新暦5月)初旬が相場だったそうですが...

文化9年(1812年)3月25日。 この日、魚河岸に待望の初鰹が17本入荷しました。

6本を将軍家がお買い上げ、3本が2両1分で料理屋の八百善へ、8本が市中の魚屋へ売られ、
そのうちの1本を三代目中村歌右衛門が3両という大金で買い、大部屋の役者に振舞った、
と、蜀山人が書いているそうです。  (およそ換算: 1両は9万円、1分は2万3千円くらい。)

 

 

 日本橋を過ぎると、右手には証券会社が目立ち、金融のメッカ兜町です。
 茅場橋を過ぎると頭上の首都高の橋脚がなくなり やっと風景が開けます。 やれやれです。

江戸橋   鎧橋   茅場橋
          

 


 茅場橋下流の右手に水門があります。 ここから分流して亀島川となり隅田川に流れ込みます。
 途中に霊岸島、八丁堀などがあります。

 湊橋を越えると、豊海橋が見えます。 屋形船が係留されています。

日本橋川 水門   湊橋   豊海橋
 この水門の先は亀島川です。        下流に豊海橋が。屋形船がずらっと!


 

豊海橋   隅田川から
やっと墨田川です。 川向こうは深川・佐賀町です。     墨田川に出て、豊海橋を振り返ります。

 

  
  豊海橋を出た少し下流には永代橋があります。
  逆方向に遡ります。 新大橋が見えてきました。

 

 隅田川は川幅が広く、波があり、小船は揺れます。 
 まさに大川という実感が湧きます。

 

 

 両国に戻る前に、小名木川に入り、万年橋、高橋を過ぎ、扇橋の閘門体験をしました。

 小名木川は、隅田川と荒川を結ぶ運河ですが、両者の水位が異なるので、途中にパナマ運河と全く同じ原理での
 水位調整区間があり、これが扇橋閘門です。 この体験は面白かったです。


この日は水位差が2.5メートルもありました。

右壁の黒い跡は、さっきまで水に浸かっていた跡です。水を抜き、水位を荒川水準まで下げた跡です。

この後、横十間川の交差点まで行き引き返しました。

扇橋閘門の前扉。これから入ります。  奥の水門が後扉。5隻が集まってます。






今回の船旅は、乗船時間は2時間半ほどでした。

船による川面からの東京の風景は、地上から親しんだ世界とは別で多くの発見がありました。
江戸文化を理解するには、川から見る眼も必要と感じました。

小船に乗り込み、熱心に 神田川、日本橋川 流域の歴史を説明してくださったガイドさんに感謝です。

 

 

  

  さて、今日からは神田祭りです。
  そして、 明日からは国技館で大相撲が開かれます。

  船旅を終え、幟のはためく国技館の前を両国駅に向かいます。
  ちょうどお昼時なので、巴潟のちゃんこランチでも、と、思案しながら...

  

   

        2007年5月22日了      宇田川 東

 

 

リンク の企画の主催団体。 次回 「第56回 神田川船の会」の案内もあります。
日本橋地域のタウン誌。 老舗ツアーや神田川船の会に似た日本橋川・神田川ツアーも紹介。
昔は日本橋芸者のお座敷がかかった日本橋檜物町の老舗料理屋さん。あれ?ランチ案内がない!
 や満登の向かいの老舗ダイニング。四代目マスターは檜物町青年部長。実家が同じ荻窪なのでご紹介!