近代になり、鉄道が奥州街道沿いに敷設される際、地元の反対により、予定されていた大田原、 このあたりは、美しい田圃と丘陵、きれいな清流と鮎に恵まれていて、失われたと思われている |
平成10年8月の8日、9日と芭蕉の足跡を訪ねて那須野を巡って来ました。その記録です。
那須の篠原をわけて、黒羽へ向いました。
かさねとは 八重撫子の名なるべし 曽良
芭蕉は、黒羽では旅程中最も長い13泊しています。
八溝山系を背に、那珂川の清流を挟んで街があります。夏のこの時期は、町営の梁が作られており、
川を臨んだ桟敷小屋で鮎料理が楽しめます。
那珂川の流れ |
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![]() 鮎料理をたべる桟敷 |
食事 |
調理場 |
黒羽から八溝の山並へ向い、山懐ろにある雲巌寺に行きました。現在も禅の修業が続けられている
簡素で端正な寺院です。芭蕉が訪れたときと同じではないかと思われる境内です。
修行のさしさわりにならない範囲で境内は観光客にも開放されています。
芭蕉の句碑もあります。
啄木鳥も庵はやぶらず夏木立 芭蕉
山門 |
境内風景 |
境内風景 |
那珂川の向いの丘陵には、大雄寺、芭蕉の館、黒羽城址が並んでいます。
大雄寺 |
駐車場から |
芭蕉の館 |
山も庭も動き入るるや夏座敷 芭蕉
黒羽は落着いて感じがいい街です。鮎を扱うお店が多いのも町の特色です。
生鮎・おとり鮎は数多く見られますが、甘露煮の店も数件あります。
わが家は那珂橋の袂の高橋商店のファンです。
顧客登録されており、季節になるとパンフレットと注文書が送られて来、毎年甘露煮を取寄せています。
鮎の干物などがおまけについてきたこともありました。
那珂橋を渡った反対側の橋の袂には、鮎の釜飯を出す萬喜食堂があります。
黒羽郊外には、玉藻稲荷神社があります。
那須地域一帯の伝承 「金毛九尾の狐」の由来の中心地です。
鳥羽法皇の寵姫玉藻の前は、実は天竺・唐を経て渡来した九尾の狐であることが、陰陽師”阿倍やすなり”
により暴かれ、狐は都を脱して那須野に逃れます。
追討の命が、三浦之介らに下され、一行は犬追うもので訓練し、狐をこの地に追いつめます。
狐は蝉に化けて鏡が池の桜の幹に隠れました。が、池に映った映像は蝉ではなく狐の姿であったため、
見破られて殺害されてしまいます。(その怨霊が飛び去って宿ったのが那須岳の殺生石といわれています。)
参道 |
玉藻稲荷神社 |
鏡が池 |
この神社は薄暗い雰囲気に包まれています。芭蕉が訪れたときもこんな感じだったのでしょう。
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翌日は芦野へ向いました。昔は芦野氏の城下町であり奥州街道の宿駅として栄えたところです。
野をよこに 馬ひきむけよ ほととぎす 芭蕉 美しい田園を車で走っていると時折集落が現れますが、たいがい火の見櫓
1本道が城のあった丘陵の下を走っています。
今、その両側には商店が散在しており、申し分なく鄙びた田舎町です。
奥州街道を走って来ると、村落を通り過ぎても商店はないので、商店が並んでいるだけで昔は宿場だったんだ、
という説得力があります。
最盛期には旅篭が40軒以上あったそうですが、今は300年以上続いている「丁子屋」さん一軒のみです。
このお店は鰻料理が美味しいので有名です。
前回、私は旅館の二階で食べましたが、奥には蔵座敷という、蔵を利用した部屋もあります。
勝海舟と山岡鉄舟がここに泊まったそうです。
芦野宿の街道筋 |
三光寺(聖天さん) |
この町には、今売り出し中の八溝七福神の一つ三光寺があります。
伊豆屋さん
郊外には、有名な遊行柳があります。
芭蕉の句碑、西行の歌碑、蕪村の句碑があります。
田圃を貫くバイパスには柳が街路樹として植わっています。
遊行柳の碑 |
裏山からの柳 |
芭蕉田一枚植えて立ち去る柳かな
道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ
西行法師
芦野から白河へ、丘陵の間を狭い道が走っています。所々に石切り場があります。芦野石だそうです。
街道は最後に分水嶺になる峠に着きます。小さな神社がこちら側と向こう側にあります。
「境の明神」です。芭蕉は、ここが白河の関跡と考えたそうですが、(芭蕉時代には、関はとっくに
なくなっていました。)、平行して走るもう一つの道に白河の古関跡があるというので、そちらへ向いました。
私達もその道を辿り、旗宿から白河の古関跡へ入りました。
関は砦のようで、警備の部隊の駐屯所跡などが残っています。
義経が奥州から馳せ参じてきてここで旗揚げをした遺構もあります。
白河の関跡 入口 |
名称の由来となった白河 |
卯の花をかざしに関の晴れ着かな 曽良都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく白川の関 能因法師
近くには、白河関の森公園が整備されていました。
土産物屋など |
移築された農家 |
周囲の風景 |