秦代の万里の長城 (現在の万里の長城の前身)



BC221〜BC210

秦の始皇帝の時代に、
万里の長城の建設のために大動員された人々が、苦役を嫌って(秦滅亡の混乱などに乗じて)逃亡し、半島南部 (当時 倭の領域) へ流入した。

この人々の子孫が、後にクニの代表者を選ぶ際、出自が確かな貴種の倭人を推戴し、新羅を作る。 (赫居世王)



小さな点は戦国時代までにあったもの。
大きな点が始皇帝によって建設された部分。

後の王朝も改修や延長を行い現在に至る。


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万里の長城は、秦の始皇帝が紀元前221年に中国を統一後、
北方の匈奴の侵入を防ぐため、戦国時代に各国が築いた城壁を連結し、
さらに拡張することで始まりました.

始皇帝は、30万の軍兵と数百万の農民を動員し、約10年かけて
西は甘粛省から東は遼東に至る約4000kmの長城を築きました。

遼東方面の建設に動員さてきた人々の中には、秦滅亡の混乱で、
自由を求めて半島へ逃れた者も多かった、と推定されています。