280年 富士山への信仰が記録に登場 (垂仁 3年 山宮浅間神社の地)



山宮浅間神社 は 記録に残る最古の浅間神社 (元宮)






山宮浅間神社は、日本武尊の伝承を有する古社で、社殿は無く、古い石段を登りつめた所にあるのは 柵をめぐらせた富士を望む 遥拝所 だけ。




そこから遥拝する富士の姿。










河口湖あたりからの富士と異なり、頂が尖っている。








2014年11月27日撮影






浅間大社社伝(富士本宮浅間社記)によると 

280年 第11代垂仁天皇3年の時には当地で祀られていた。

310年 第12代景行天皇が日本武尊を東国に派遣した際、尊が駿河の豪族に攻立てられ、富士の神を祈念して窮地を脱した。
     そこで、富士大神を祀るために、磐境を設け、祀ることになった、と。

806年 平城天皇の命により坂上田村麻呂が、現在の 浅間大社 の地に社殿を造営し、遷座した。

富士山本宮浅間大社 (富士宮市)





 これで、現在の 奥宮 (富士山)〜山宮 (山宮浅間神社)〜里宮 (富士山本宮浅間大社) という構図になった。




山宮浅間神社は、2010年9月に鎮座1900年祭が行われた。
古代史の復元によれば1731年祭になるが、どちらにしても とてつもなく古い起源だ。





富士山は、もともと縄文時代から延々と信仰されていた.。
日本武尊の例のように、東国を統治するには、人心を掌握するため地元の神を朝廷も祀る必要があり、そのため 祭場を整備し記録されるようになったのだろう。


山宮浅間神社周辺には赤池という家が多い。
神社参道の石柱に刻まれた寄進者名は圧倒的に赤池だった。
(静岡県に426人で富士宮市が310人。山宮地区が中心。)
山宮浅間神社を守って来た一族のようにも思われる。