753年 鑑真が渡来 (6回目の渡航で成功)



753年11月21日 文献に初めて おきなわ島 が登場した日



753年11月17日出航した 鑑真和上の乗った遣唐使船が 日本に帰国の途中、
大暴風にあい 「11月21日 阿児奈波 に漂着」 と記された。
一行は、その後 12月20日 薩摩坊津の秋目 に到着した。


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吉祥寺のKさんご夫妻とランチしていて、678年出土の墓誌に列島が「扶桑」と記されてる 話題で、
大陸の人々は列島を 蓬莱島・扶桑 など特別な美称で呼ぶのは 憧れがあるから、と云ったら、
Kさんは 「鑑真がそうだったと思います」 と。


鑑真和上が、11年・6回目、皇帝の反対 を押し切り渡海したのは 強い招請運動のためだが、それだけではなく、列島に特別な魅力を抱いていたからだろう。
扶桑 」と呼ばれている地に戒律をもたらす、という使命が無ければ、異様とも思われる情熱の根源は理解できない。


扶桑樹は 東海の海上に茂る巨大な神木で、9000年に一度実をつける 神仙の樹。
その神樹から太陽が生まれ、それを烏が背負って 天空を運んでいく という説話がある。

この扶桑樹と蓬莱山を目指して多くの長江畔の人々が渡ってきたとも云われている。







古代の日本列島の呼び名「扶桑」 の起源となった 巨大な扶桑樹のことを思うと、
SF映画 「アバター」 の世界と、夢枕獏の超伝奇ノベル 「新・魔獣狩り 完結編」 を思い出す。


夢枕獏の伝奇小説の扶桑樹は、 富士山麓の樹海の奥に 巨大な溶岩樹形になって残っている。
先日行った 十里木氷穴 は複合溶岩樹形で、直径2.5mに及ぶ巨大なブナの大木を中心に、
流れて来た7本の巨木がこのブナにからまり 溶岩の中で燃え尽きて、その樹の形の溶岩洞窟が誕生したもの。







東方海上の 「扶桑樹と蓬莱山の列島」 のイメージは、縄文の社会 が半島経由で大陸にもたらされてものだろう。
縄文人は海を越えて遥か遠方まで交易に従事し、ヒスイは半島内に大量にもたらされている。
争いのない平和な理想郷の原型は 縄文列島 かもしれない。






古代中国の地理書 「 山海経 」に出てくる神木・扶桑樹 は、四川省の三星堆遺跡 (BC2800年〜BC800年)出土の 巨大な青銅製神樹 (第4期:BC1200〜800)がそうだろう。
高さ4mで上部があれば5m。

鳥飼行博研究室のページに貴重な写真を見つけた。


   鳥飼行博研究室のページから      鳥飼行博研究室のページから



    鳥飼行博研究室のページから







扶桑樹は、馬王堆の帛画 (前漢・紀元前2世紀)にも描かれている。




左は馬王堆の帛画を 線描 したもの


天上の部分は、

右上の角に 赤い太陽 があり、太陽の中に一羽の、足が三本ある金色のカラスがいる。
下部には、曲がりくねった「扶桑の木」と 八個の小さな太陽 が描かれている。
左上の角には、眉のような三日月があり、月の中にはひき蛙と白い兔がいる。


太陽と月の間には、頭は人で体は蛇の、髪を振り乱した女神(始祖神の女媧)がいる。
女媧のそばには、五羽の白い鶴が羽を広げたり、首を伸ばして鳴いたりしている。
下部にはさらに二匹の龍が舞い、神獣が地を走り、吉祥雲が絡みついている。