古 事 記 雑 感
   〜 古事記と野鳥 〜







2014年12月29日(月)

池澤夏樹の新訳による「古事記」 (河出書房新社 2014年11月30日) を読み終わった。
延々と神名・人名が羅列される「系譜」も、何とか読む気持ちが生じた。






2015年02月15日(日)

日本神話には鳥が良く出てくる。
何が1番最初に出てくる鳥なのか?  熱燗を飲みながら古事記を読んでみた。


国産み〜神々産み〜アマテラス関係 を終えて、出雲神話 に入ると出て来る。


(1)上巻・ ヤチホコ(大国主)ヌナカハヒメ の項で、 (P76)

ヤチホコが、高志国( 越後)のヌナカハヒメ を妻にしようと出かけ、 ヌナカハヒメの家に着いて歌うなかで
@ぬえ(=トラツグミ) A(きぎし=キジ) B (かけ=ニワトリ) の順に出てくる。


その場面は ..

オオクニヌシヌナカハヒメ への夜這いで、家の板戸をゆすぶっても返事がなく そのうちに

 本文   訳
〜略〜
青山に ヌエ は鳴きぬ
さ野つ鳥 (きぎし)はとよむ
庭つ鳥 (かけ)は鳴く
慨(うれた)くも 鳴くなる鳥か
〜略〜

青々と茂った山で トラツグミ は鳴くし
野原では キジ が大声を出すし
庭の鳥である ニワトリ まで鳴きだした。
いまいましくも鳴く鳥どもだ


  神様が夜這い失敗で 焦る気持ちが 可笑しい(*^^*)

 日本神話の最初に出てくる
  ぬえ (トラツグミ)





 (←葛西臨海公園にて)




(2)次は、ヤチホコ(大国主)スセリビメ (素戔嗚の娘)の歌の中で (P81)
   Cそにどり (=カワセミ) )だった。


これは、ヤチホコスセリビメ の嫉妬が強いのに閉口して 旅立つときに歌う、

本文  訳

〜略〜

そに鳥の青き御衣を
まつぶさに 取り装ひ

〜略〜



(← 善福寺川・和田堀にて)



カワセミのように青い衣装を
きちんと身にまとって






カワセミは神話の世界でも目立つ鳥。







2015年02月16日(月)

昨夜古事記に最初に出てくる鳥を呟いたが、高天原の固有種もいるようだ(笑) 
『アマテラスはスサノオの所業を見て、天の岩屋戸に入って中から戸を閉じ、隠ってしまった。 
〜略〜 常世の 長鳴鳥 を集めて鳴かせ、〜略〜 』   (P58)
特別な鶏のようだ。






2020年04月27日(月) 追記


出雲神話を経て、国譲り神話に入ると、また 鳥が沢山登場する。 (P94 〜 P98)


アマテラスは、豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)を我が子に治めさせようと、国譲りの使者(アメのホヒのカミ)を送ったが3年経ても報告が無かった。 
次に、アメワカヒコ(天若日子)を遣わしたが、(オホクニヌシの娘のシタテルヒメを妻として)8年経ても報告が無かった。


そこでアマテラスは 雉の鳴女(ナキメ)に言葉を伝えて、下界に遣わし問いたださせた。
ナキメは、天から降ってアメワカヒコの家の前の桂の木にとまり、
神から預かった問いを間違いなく繰り返した。

すると、アメのサグメという女がこれを聞いて、
「嫌な声の鳥です。射殺しましょう。」 と アメワカヒコをそそのかした。

アメワカヒコは、天の神から授かった弓矢でキジを射殺したが、矢はキジの胸を貫き通し、
逆さまに飛んで行き、アマテラスのところに届いた。
タカギのカミが、その矢を もと来た穴から投げ返したところアメワカヒコの胸に当たり死んだ。

(←手賀沼にて)


「還り矢は当たる」、「雉の使いは行きっぱなし」 という諺もここから生まれた。

天にいたアメワカヒコの父神は、下界に降りて嘆き悲しみ、葬儀用の仮小屋を建てて、
『河にいるカリ(雁)に 死者に捧げる食べ物を持って 頭をかしげて歩く役を与え、サギ(鷺)には箒を持たせ、
 カワセミ(翡翠)には調理を任せ、スズメ(雀)に うすを搗かせ、キジ(雉)には大声で哭く係を与えて、
 八日八夜にわたる葬儀の音曲を行った。』








2015年04月06日(月)

春だなぁ。
山菜売り場で、のびる(野蒜)があった。




中巻の第15代応神天皇(367年〜397年)の項に ノビル摘み の歌がある。 (P249)

いざ子ども 野蒜摘み
蒜摘みに 我が行く道の
香ぐはし 花橘は ...
〜 略 〜

大君も ノビル摘みのピクニックをしてたのかな?


この歌の次には、
ジュンサイ採り が歌われる。 (蓴:ぬなは=ジュンサイ:蓴菜

〜略〜 蓴(ぬなは)繰り 延(は)へけく知らに 〜略〜
(訳) ジュンサイ取りが手を伸ばしてそのジュンサイを取ろうとしていたのを知らず 







2015年05月04日(月)   2020/04/29改


中巻

神武天皇 (83年即位)が、神の子 イスケヨリヒメ に会いに行き、高佐士野(たかさじの)で遊んでいる7人の乙女の中で見つけ、
オホクメに 仕えるように伝えさせた。

イスケヨリヒメは オホクメの大きな目 をみて歌うには  (P144)

『あめつつ 千鳥 (ちどり)ま 鵐 ( しとと=ホオジロ) などさける利目(とめ)』と。 注1
(訳) あめつつ ちどりましとと 、なんでそんなに大きな目なの。

オホクメが答えて歌うには―

『おとめに ただに逢はむと 我がさける利目』   (お嬢さんにまっすぐ会おうと、それで私の大きな目。)
と歌った。

乙女は「お仕えしましょう」と答えた。



コチドリ
の目のようだと凄いw






 (←東京港野鳥公園にて)


神武天皇にみそめられ大后(おおきさき)になった イスケヨリヒメ が産んだ子の一人が 神八井耳命で、
千葉県袖ケ浦市の飽富神社を創祀したと伝えられている。



注1
オオクメは、目を引き立てるように入れ墨(鯨面)をしていたと考えられる。
後の時代の魏志倭人伝には、(九州の)倭人―特に海人は、鯨面文身(顔の入れ墨、身体の入れ墨)とある。
それを遡ると、九州の武人には鯨面の習慣があり、神武天皇に従い東征した久米一族は、鯨面をしていたと考えられる
古墳時代に入り、武人埴輪に顔に縦の入れ墨が多くみられるのは、その習慣が大和から各地に普及したからであろう。
  (2020年9月23日 追記) 







2015年06月14日(日)


昨日、病院の待合室で NHK 「キッチンが行く」 を見てた。
シェフ同行の最古の記録は、古事記にある。


中巻・ヤマトタケルの物語の最後に、  (P221)

ナナツカハギ(七拳脛) という者が 賄い方で遠征の旅に同行していた、と出てくる。
同行したシェフの名が出てくるので驚く。



更に驚くのがその登場の仕方なのだ。

ヤマトタケルは、伊吹山で病を得て、
能褒野(のぼの)で亡くなる。 (311年)





(←伊吹山頂にて)



そこに御陵を造るが、魂が白い千鳥となって飛びたち、
河内の志畿に降りたので白鳥の御陵を造る。

それでも魂はそこからまた飛び立って天に向かって飛んで行ってしまった”、

で、物語は結ばれるが、
その次に ナナツカハギが賄い方だった、と登場するのだ。

天皇の料理人 という番組があるが、ヤマトタケルは日継皇子であり、ナナツカハギ(七拳脛)はその料理人、
ということは 皇太子の料理人 だったのだなぁ







2021年9月2日(木) 追記 


下巻
第16代 仁徳天皇(オホサザキ: 397年〜427年)の項に ハヤブサ、ヒバリ、ミソサザイ が出て来る。   P289
注:サザキは今でいうミソサザイ


天皇は、女鳥王(メドリのミコ)を妻にと思い、異母弟の速総別王(ハヤブサ・ワケのミコ)を使者として送るが、
メドリは、先に召された姉が大后の嫉妬で后になれなかったので、そうなりたくないと断り、使者のハヤブサワケの妻になりたいと言って二人は夫婦になった。
ハヤブサワケは天皇のところに報告に戻らなかった。

天皇がメドリのもとに訪れた時、彼女は機に向かって織物を織っていた。
”それは誰のための布か”、と問うたら、メドリが答えて歌うには

 高行くや  ハヤブサワケの 御襲料(みおすひがね)    (高く飛ぶハヤブサの衣装のための布)


天皇は事情を知って宮廷に戻った。
夫のハヤブサワケが戻ったとき、妻のメドリが歌うには

雲雀は天に翔る 高行くや 速総別 さざき)取らさね

ヒバリは天高く飛びます。
同じように高く飛ぶハヤブサさん、サザキなど捕ってしまったら。

と、謀反をけしかける歌だった。
天皇はこの歌を聞いて、二人を殺そうと兵を出した。


速総別王と女鳥王は逃げて、倉椅山(くらはしやま=桜井市音羽山)に登った。
そこでハヤブサワケが歌って言うには


梯立(はしたて)の 倉椅山を 険(さが)しみと   : 立てた梯子を登るように険しい倉椅山
岩かきかねて 我が手取らすも           : 岩を登りかねて、君は私の手にすがる。


そこから更に先に伊勢に向かって逃げ、宇陀の曽爾まで行ったところで殺された。








2020年6月1日(月) 追記 


下巻
第21代 雄略天皇(ワカタケル: 463年〜486年)の項に 宴会での歌に再び鳥たちが出て来る。   P337

天皇が長谷で新嘗の儀式を終え、槻(ケヤキ)の大木の下で、豊楽(とよのあかり)の宴を開いた時、
三重の采女が大盃を捧げて運んだ来て、その盃の上にケヤキの葉が落ちたが 采女は気づかず天皇に大盃を差し出した。
天皇は酒に浮いた葉を見て、采女の首に刃を当てて殺そうとした時、
采女が天皇に向かって「殺さないでください。申し上げたいことがあります。」と言って 歌った。

歌は(略するが)、大木の枝から葉が落ちるさまを、古の「水こおろこおろ」の場面(大地創造)のめでたさとして歌い、赦された。

次に大后が(略するが)、日の御子にこそ御酒を差し上げなさい、と、こういうことです。と歌い。

そして天皇が歌って言うにはー

ももしきの 大宮人は             
鶉鳥 領巾(ひれ)取り懸けて        
鶺鴒まなばしら=せきれい) 尾行き合え   
庭雀 うずすまり居て              
今日もかも 酒水漬くらし    
高光る 日の宮人       
事の 語言も 是をば     

と歌った。           
(ももしきの)宮廷に仕える者たちよ、
ウズラが肩にスカーフを掛けているのを真似て
セキレイが尾を交わすのを真似て
またスズメが蹲るのを真似て
今日ばかりは酒に浸るまで飲みに飲んで
輝く日の御子を讃えよう。
と、まあ、こういうことだ。


この三つの歌は天語歌(あまがたりうた:宴会で舞を伴う賑やかな歌)である。

  ハクセキレイ  (善福寺川にて)   キセキレイ  (善福寺川にて)








2023年11月22日 (水)  追記


NHK大河ドラマ「どうする家康」と 越前ガニ

14回「金ヶ崎」で、朝倉攻めで信長に従い、敦賀の金ヶ崎城の宴会で名物「越前ガニ」が出てきました。

三河侍たちは初めて見るカニが大きく、足が長いのを気味悪がって、
こんな足長のカニ食べられるものか、と騒ぎ立てるシーンが可笑しくて笑いました。

三河侍が如何に世間知らずか、が一発で表現されてました。


中巻 15代応神天皇の項に、在の豪族が越前ガニ(の塩辛?)を出してもてなし、それを天皇が歌う情景が出てきます。

天皇が近江の国に行ったとき、宇治の木幡の村の分かれ道で美しい娘に出会います。
帰りにその娘の家で宴会を催し、娘(矢河枝媛:やかわえひめ)に大盃を持たせたまま、天皇が歌に詠むには

 この蟹や 何処の蟹           食卓のこの蟹は、どこから来た蟹か。
 百伝ふ 角鹿(つるが)の蟹       はるか遠い敦賀から来た蟹。
 横去らふ 何処に到る          横歩きしてどこへ行くつもりだ。
 伊知遅島 美島に著き          伊知遅島と美島を通って、
 鳰鳥(みほどり)の 潜き息づき      カイツブリみたいに潜ったり息をしたり、
 しなだゆふ 佐佐那美路を        (しなだゆふ)佐佐那美の道を、
 すくすくと 我が行ませばや       俺さまがどんどん進んでゆくと、
 木幡の道に 遭はしし嬢子        木幡の道で娘に出会った。
 (略)

カイツブリ

(善福寺川・和田堀にて)







2015年08月04日(火)



古事記を読んでいると、これは権威の継承を絶やさないための書、ということを感じる。
中巻からは、神武天皇を始祖とする歴代天皇の血統が中心。

(例外はあるが) その天皇が在位中に 「何を為したか」 は編者の関心外で、誰々の娘の誰々に産ませた子が誰々...で、誰が皇位を継いだ、と、延々と続く
事件も皇位継承にからんだものが多い。



古事記は、皇統に全精力が費やされている。
倭国の最大関心事は、列島に統一国家が成立したことの重要性と、そこで成立した権威の継承だ。
そして、結果的に、今125代(平成天皇)に至っている。




                                                 2015年8月8日 記

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