魏志倭人伝のクニの風俗について





私は、いわゆる古代史マニアではないので、邪馬台国論争と卑弥呼には全く関心はなかった。
今でも、魏志倭人伝が示すクニは何処か、には夢中になれない。



年末に、倭人が100歳などの長寿の謎が、魏志倭人伝の注釈(一年二歳論)で解消した。
新年は、倭人の風俗について 素人の感想をツイッターで呟いた。



2015年1月6日(火)


今日は雨なので、邪馬台国論争にはどんな説があるかウィキペディアで調べてみた。
様々な位置の解釈があり、改めて驚いた。


私は、魏志倭人伝に書かれているクニは 北九州や畿内などではなく、高知や南九州だな、と直感してる。
倭国の状況について、『倭地温暖冬夏食生菜』
土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている、と書いてあるからだ。


昔、高知県の農水部の課長さんに、野菜の漬物について聞いたことがあった。
そしたら、高知は冬でも野菜が食べられるので、漬物にする必要が無いんです。
野菜を漬物にして保存する習慣はありません、と云われ強く印象に残った。
北九州には高菜漬けがある。


魏志倭人伝の方位・距離の解釈は重要だが、その結果が、記事の風土に合っているか はもっと大事で、それが説得力となる。
上部構造より下部構造で、頭の解釈より腹の方が正直だ。


「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている」 という地域は、2月1日解禁のプロ野球キャンプ地がまず頭に浮かぶ。
ご存じ、高知、宮崎、日南、それに沖縄の本島・離島だ。
魏志倭人伝に書かれたクニは、難しく考えなければ この中のどれかだろうなあ。


魏志倭人伝の行程・風土は、(卑弥呼の邪馬台国へでなく)、ムカツヒメの倭の奴国(日向)への行程と風土で、
それを間違って採用した、という説が一番腑に落ちる。
これは「古代史の復元」の見解だが、奇説になるのかな?


                                                                      2015年 1月11日

《 参考 》 金印を受けた「倭の奴国」は通説とは異なり、九州南部の日向である