グループで、長野県は南信州・飯田市にある 大平宿へ行ってきました。



大平宿は、中央アルプスの両側にある、伊那谷木曾谷を結ぶ山越え旧街道の宿場です。

二つの谷を結ぶ峠越え街道は、昔は、北にある 権兵衛街道 (伊那と中山道・奈良井宿とを結ぶ権兵衛峠越え)と、南にある 大平街道 (飯田と中山道・妻籠宿を結ぶ)がありました。

大平街道では、中間の山中に 大平宿 という宿場が江戸中期(宝暦4年:1754年)に開設されました。
飯田峠(標高1235m)と大平峠(標高1358m)の間に小さな細長い盆地(標高1150m)があり、そこに宿場は開かれました。

その後 昭和30年代に飯田と妻籠宿を結ぶ国道256号が更に南に開設されたため、大平街道は使われなくなりました。
そして、大平宿も、火事による家屋の消失などを契機に、昭和45年に集団離村して村は廃村となりました。

その後、[大平宿をのこす会」による保存運動が始まり、いろいろな経緯を経て、平成2年に飯田市がふるさと創生事業などで民家を整備し、「使いながら残す」 というコンセプトのもとに、現在一般に開放・保存されています。

ここには、江戸期から明治期に建てられた民家群がまだ20棟近く残されております。
どの民家にも囲炉裏があり、囲炉裏が生活の場の中心だったため、 いろりの里 大平宿 と称しています。

そこへ一夜の体験をするために行ってきました。
 

 

 

 赤枠表示は今回の訪問地。  右から 飯田、 大平宿、 中山道の 妻籠宿 と 馬籠宿

 





飯田から大平宿まで、40分近く、延々と山腹の崖の道路を登ります。
眼下遥かには松川の清流が望まれます。

飯田峠を越えて下りになり、カラマツ林に囲まれた大平(おおだいら)に到着します。
その名の通り、やっと平らな土地に到着です。

 

 二つの沢に挟まれた細長い台地が大平です。

 

 旧大平小学校の廃校なども残っています。
 雨天炊事場も廃校跡に設置されています。

 

 四角い赤枠で囲ったところが、宿泊した
 「からまつや」です。

 そこから下にかけてが、旧街道が
 そのままに残されています。

 小川が道に沿って引かれています。

 

 

 

 (マップは飯田市観光課のパンフレットから)

 



我々は 「からまつや」という屋号の民家に泊まることになりました。
舗装された県道と旧街道の分岐点に位置する民家です。

県道は「からまつや」の手前で左折してますが、真っすぐに見える小道が旧街道です。

その先の両側に 無住の民家13棟が散在しています。




荷物を民家に置いて、今回の企画を実施している南信州観光公社の人に 街道沿いの民家をガイドしてもらいました。

   街道入口から (奥に見える蔵は紙屋)     からまつやの入口    通り過ぎて、裏から見ると


 これが、真正面からみたところです。

 

 建てつけの悪そうなガラス戸が入口です。

 リヤカーと手押し一輪車があります。

 

 趣があるというか...
 年代を経ているというか...

 ..ストレートに言うと、ボロ家です(笑)

 


集落の小道の脇には、周囲の川から引いてきた小さな流れがあります。
民家の先には洗い場などもありました。

民家には屋号がついています。
「からまつや」の隣は「つつみ荘」、「満寿屋」。

前から、「つつみ荘」、「満寿屋」

家の前には小川が引かれて流れています。



蔵がある大きな民家は「紙屋」。 この家は所有者が個人で管理しているそうです。

 

この宿場の民家は、軒先が街道にせり出している「せがい造り」という構造になっています。
旅人が休息をしたり、雨宿りできるための配慮です。

 

    せがい造りの軒先    軒下から、街道の先を望みます。 石碑が見えます。

 

 紙屋の向かいには 斎藤茂吉の歌碑などがあります。

   庚申塚、斎藤茂吉の歌碑などです。   その先に、新しい民家が道の両脇に見えます。


この両側の民家は、平成12年に出火して焼け、平成14年に飯田市が再建したものです。
カマドの火周りに問題があり、滞在者が退去した後の無人の時に、低温発火が原因で焼けたそうです。
皮肉なことに、再築したため隙間風がはいらず、宿泊用には人気があるようです。

     左:下紙屋                    右:深見荘     下紙屋入口の小川

 

 

ここから道は下りになります。
4軒の民家(大蔵屋、大阪屋、おおくら屋、∧大蔵屋)を過ぎると、集落の外れに着きます。
ここに、藤屋と八丁屋が向かい合ってあります。 
飯田からでは、ここは宿場の入口になります。

          左:八丁屋            右:藤屋    

 

      八丁屋       藤屋






さて、帰り道に 途中省略した民家を見てみましょう。

実は、平成16年春に、このあたりで 山田洋二監督の  「隠し剣 鬼の爪」 の、最後の決闘シーンが撮影されたのでした。
白塗りの壁を木の板で隠したり、障子戸に色を塗るなどして、さびれた東北の農村の姿に仕上げての上ですが。

 ←  藤屋の前から、戻る先を眺める。
   「
大蔵屋」と「おおくら屋」が見えます。
     
                隠し剣 鬼の爪での情景(1)

  少し登って...

  ← 「おおくら屋」とその先の「大坂屋」、「大蔵屋」
     隠し剣 鬼の爪での情景(2)
       隠し剣 鬼の爪での情景(3) おおくら屋                隠し剣 鬼の爪での情景(4)

 

以上が、往時の大平宿の家々です。
その他にも、県道沿いに数軒の民家が残されています。

深〜い山中にある一つの宿場の民家群を無住で保存することは大変です。
まさに稀有のことです。

 





 さて、宿場の街道筋の散策を終えて、いよいよ原生活体験の開始です。

 


ここでは、現代生活であたりまえになり、自明のことと思われている「モノ・サービス」が何もありません。
全て、自分達の手でなさねば、生活が成り立ちません。
テレビは無く、携帯電話も通じず、街灯もなく、コンビニもありません。
この日は、他の民家の宿泊者もありませんでした。 山深い無住の山村です。

ここでは、利便性を追求した暮らしとは対称に、不便ながらも互いに協調して暮らすことの心地よさと発見があります。
自分達で分担し、協力しあって生活する。
囲炉裏を囲んで語り合い、時を過ごす。
そういった生活の原点があります。

今回の研修の目的は、そのような体験ー原生活体験ーでした。

 

 最初に、各人の寝具(寝袋・枕)と、薪を取りに行きます。

 廃校小学校の敷地内にキャンプ用の施設・備品がありました。
 薪割りも覚悟していたのですが、薪が用意されており助かりました。
 (大平宿には、年間12〜13校の学校が体験学習で訪れるそうです。)
 

 手押し一輪車で(後ろのネクタイの人は南信州観光公社の人)   廃校の先に、雨天の炊事場があり、薪があります。

 

民家を開けてもらい、頼んでいた食材を搬入し、注意事項を確認し、引継ぎは終了。

内部は家財道具も何もないのでガランとして広々しています。
街道に面した部分には、「ウチニワ」と呼ばれている間口の広い土間があります。
土間の端には、飯を炊くためのカマド、炊事の洗い場、風呂沸かしのカマドがあります。

土間から上がったところは、広い板張りの間で、中央に大きな囲炉裏がきってあり、自在カギがぶら下がってます。
板張りは黒々として年代を感じさせます。

奥と脇には畳部屋があります。
廊下の板戸を開けると県道に面してました。

各部屋には裸電球が一つぶら下がってます。 囲炉裏の上だけ、裸電球に懐かしい平らなカサがついてました。


全員で、民家の床掃除から始めます。

次いで生活のための班編成です。
全て火が活動の中心になります。

・囲炉裏の火おこし班
・飯炊きカマドの火おこし班
・風呂の火おこし班

それに調理用材料を洗ったり切ったりする準備班
10名で分担作業です。

火おこしも、古新聞から粗朶木、薪木へと少しずつくべていかないとうまく点きません。

 囲炉裏の担当たち。
 持参した軍手で、火おこしに成功。

 自在鉤には大きなナベ。
 今夜は、ナベなのダ〜

 でっかいナベの下には網を置き、長ネギ、ナス、ウリ。

 長ネギの一本焼きは、焦げた外皮をむいて食べます。
 ネギ好きの私には、たまりません(笑)

 イワナも串に刺さってます。
 五平もちは後で。

 


 さあ、みんな集まって食事の開始です。
 黒光りする板の間に座って ビールで乾杯! から

 光は頭上の裸電球。
 囲炉裏で燃える焚き木。

 

味噌仕立てのナベです。

里芋、野菜、きのこ、鶏肉、豚肉
ちくわぶ、コンニャク、豆腐、ミズナ など 具だくさん

美味い〜〜

 

更に、膝元の皿には飯田の農産物直売所で仕入れた
漬物の盛り合わせ、
・刺身コンニャク
・ブツ切りの生キュウリ
・完熟トマトなどが...

そして途中で肉屋で仕入れた 馬刺し。

これがまた美味いこと。
赤身好きの私にはたまりません。

 

そろそろイワナも食べごろかな。

 

飲み物は潤沢です。

ビールの他に、一升瓶の吟醸酒・酒翁、 どぶろく (新潟のどぶろく特区の農家民宿から取り寄せたもの)、
一升瓶の芋焼酎「明るい農村」(←大胆なネーミング!)、 韓国の高級焼酎、
スコッチ・モルトウイスキー (これは私が好きな アイル・オブ・ジュラ)
みかんジュースの大ビン(愛媛の農家から送られたもの) などなど

ところが、どういうわけか ウーロン茶の大きなペットボトルを買うのを忘れてしまって...



カマド班がカマドで炊いたゴハンは、おにぎりにして、最後に囲炉裏で 焼きおにぎり にしました。
真っ黒に焦げて固まったおにぎりを、少しづつ削って食べました(笑)
用意した五平モチは食べきれず翌朝用に。




こうして、板張りの床に座ったり寝そべったりしながら囲炉裏の火を囲んで、 
深夜遅〜くまで 話し込みました。

私は時計を持っていかなかったし、(ただ忘れただけ(笑))
時計はおろか鏡さえもない家ですので、時間は自然のままの流れまかせでした。
そう、時を計るということなど まったく不要なのでした。

 

囲炉裏の火は 人を落ちつかせる不思議な力をもっていました。




 

深夜、薪が少なくなったので、私ともう一人で、廃校に薪を取りに出かけました。

外は真っ暗闇でした。
何一つ見えない真の闇でした。
一輪車のために、懐中電灯が照らす足元だけが、かろうじて見えるだけ。
こんな経験は始めてでした。

そんなに遠くない廃校の先が異常に遠く感じられ、薪を積んでの帰りには、
もし電球が切れたら遭難しちゃうんでは、と、思うほどでした。

街中に普通にある街灯や、生活の明かりが、如何にあたりまえではないことに
気づかされました。


 

翌朝。

さすがに朝食は作れないだろう、とのことで頼んでいた弁当が到着。
囲炉裏で五平餅を焼き、カップ味噌汁で朝食です。

その後、掃除をして 「からまつや」 を返しました。
「掃除をして入居し、掃除をして退去する。」 これがここでのきまりです。

 

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ふたたび無住となった 「からまつや」 を背に、大平街道を木曾谷に向けて出発。

大平峠を過ぎ、山中の道を下り、国道256号に合流すると周囲は開けてきました。
懐かしい2車線の道です。 走っている道に、中央分離の白線があると落ち着きます。

 

秋晴れの朝です。 棚田には黄金色の稲が実り、コスモスが咲いています。
籠宿では、金木犀が咲き、甘い香りが漂ってました。
馬籠宿では、街道沿いの清流の脇にハギの花が満開でした。

                                                                       ( 了 )

【 後  記 】
ところで、最近 Google Earth に凝ってます。 
山奥の大平宿を Google Earth で 宇宙から捜してみました。
圧倒的な大自然のなかから、かろうじて一筋の道と、へばりついている集落を捜し当てました。
どんどん接近すると、からまつや も 廃校も 駐車している車も はっきり写ってました。

このように、利便性も極致に達しています。 
対極的な、不便な生活の原点ー協同作業による原生活体験も、益々必要になっていると感じます。 

 


   2006年9月30日      宇田川 東

 

リンク: 南信州観光公社:  今回、お世話になった機関です。
大平宿をのこす会:
渋谷区立中幡小学校が実施した「体験学習」の記録ムービーです。子供達がいきいきしてます。