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   国道152号 (地蔵峠越えで大鹿村に入り里に出る)

 

四月中旬、南信州の秘境・遠山郷に行ってきました。


なかなか行けない場所なので、時間が許す限り気にかかっていた処を廻って行こうと決めました。
青崩峠を通って遠山郷に入り、その後は真直ぐ大鹿村に入り、出来れば高遠を経て茅野に抜ける塩の道ルートです。

塩の道は糸魚川〜塩尻が有名で、駿河湾の相良から秋葉神社を経由して中央構造線沿いに塩尻までの道はあまり知られていません。
秋葉街道とダブッていますが、現在は国道152号線が(不通区間もありますが)通っています。


これは、中央構造線に沿って国道152号を旅した記録です。


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 南信州では、
 中央構造線は、南アルプスと伊那山地を二分するV字谷を、ほぼ南北に一直線に走っています。

 大断層である中央構造線のV字谷は、青崩峠、地蔵峠、分杭峠で 南北を塞がれています。

 ・青崩峠と地蔵峠で塞がれた地域が、遠山郷です。

 ・地蔵峠と分杭峠で塞がれた地域が、大鹿村になります。

 ・分杭峠と杖突峠の間の盆地は、高遠エリアになります。

 

 遠山郷、大鹿村は隔絶され、独特の文化が継承されています。

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     中央構造線(赤色の線) と フォッサマグナ(ピンク色のゾーン)

 

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  今回の旅の入り口は、中央自動車道の飯田山本ICで、ここから阿智村に下りました。
 阿智村から、三州街道を平谷村、根羽村のネバーランドまで下り、そこから東に向けて、売木村〜阿南町〜天龍村で天竜川に出ました。
 そして、少し上がって平岡から遠山川に沿って上流の遠山郷へ入りました。

 出合った天竜川と遠山川は美しく気に入りました。

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             天竜川               遠山川

 

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青崩峠       Mapion地図

 

 
 元亀3年(1572年)10月3日、武田信玄は上洛のため約3万の大軍を率いて甲府を出発。
 本隊2万を率いて、10月10日 青崩峠を越えて遠江に攻め入る。

 三方ヶ原で徳川軍を大敗させるも、発病し、翌年帰国の途上、三河街道・駒場(長野県阿智村)で死去。

 最初に青崩峠を意識したのは、この信玄最後の侵攻ルートということと、青崩という特異な名称によってです。
 中央構造線の、今でも崩落して岩石が青っぽく見える箇所ということを知りました。
 その後、塩の道、秋葉街道の難所 ということで昔から気になっていました。

 今回の旅は遠山郷の上村下栗が目的地でしたが、無理して青崩峠に行ってきました。


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 遠山郷に入り、和田宿の手前から、遠山川の支流に沿って、青崩峠方向へ入ります。

 しばらく行くと、小嵐川と梶谷川が合流した開けた土地に出ます。
 梶谷川のほとりに、いろりの宿「島畑」と陶芸館があります。 大きな水車と吊り橋が目印です。
 雰囲気のいい里でした。

 

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           梶谷川         梶谷川前のいろりの宿「島畑」

 

山中に入り、進んでいくと、一軒宿・民宿 島畑がありました。
宿の前は秋葉古街道で、昔は街道の馬借をしていたと聞いたことがあります。
川の瀬の上に位置してました。 (今はいろりの宿「島畑」に移りここは営業を中止しています。)

01_aokuzure03.JPG (81349 バイト)  知人から、この民宿が移転する前に

 『民宿 島畑に泊まって、飯田の友人たちと松茸パ−ティで盛り上がろうと計画しています。
  煙い・眠い・汚いというのが売り物の『霜月祭り』が開かれる地方でもあります。
  一度おでかけになりませんか。』

 と、晩秋の頃に誘われたことがあります。 
 秘境の一軒家で、紅葉がとてもきれいと聞いていて気にかけていました。

 

 

島畑を後に、秋葉街道に入り直して、薄暗い狭い山道(国道152号)を曲がりくねりながら進みます。
雨が降っており道は悪いし、最悪の状況でした。

 

やっと、どんづまりの青崩峠に到着。
念願がかなって感激しました。

01_aokuzure07.JPG (65151 バイト)  道路の先に未舗装の広場があり、そこに車を留めます。

 国道152号の行き止まりです。

 沢と、崩落した斜面が行く手を阻みます。

 

01_aokuzure05.JPG (58917 バイト)  巨大な案内板がありました。

 私(175cm)と較べると大きさがわかります。

 

 

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広場の入り口に山桜が咲いているのが 唯一の明るさでした。

この場所では、崩落を続ける生々しい自然に対する、畏敬の念というか、不可思議な感じを得ました。

 

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 青崩峠です。

 沢沿いに、崩落防止用の堰堤が幾重にも
 築かれています。

 

 生きている自然のパワーを感じさせる場所です。

 中央構造線だなぁ、と、実感できます。

 

 

 

 

 

 

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秘境・遠山郷

  遠山郷は秘境といわれています。
  その中でも、下栗は、山の急斜面に位置し、独特の景観を保っています。
  日本のチロルとか、日本のマチュピチュとも云われているようです。
  下栗は、高地人、ハイランダーの住む場所です。 天空の集落です。
  

02_miyashita00.JPG (30015 バイト)   遠山郷・下栗の里の遠景

標高1,000m前後の山腹の急傾斜地に家々が散在しています。

向かいの山とこちらとの山との間のV字谷に、中央構造線が走っています。
中央構造線を境に、東側は3億年前の地層で、作物の収穫がのぞめたそうです。

日当たりが良く、日照時間も長く、標高が高いため寒暖の差が激しく、
甘みのある美味しい作物がとれます。

キャベツ、トウモロコシ、ネギなどの野菜類から、アワ、ヒエ、コキビなどの雑穀類。下栗イモ、コンニャク、蕎麦など。

 

民宿で出されたキャベツは甘く美味しくビックリしました。
ニドイモとよばれる下栗イモも、小粒で味が濃く、串焼きはとても美味でした。

←写真中央のやや右上の家屋が民宿みやした。
 その右上の杉木立の処が下栗拾五社大明神。
 ここは本村集落ですが、更に上に半場集落があります。

下栗の里は、人口119人、世帯数53戸(H20.3)

 

 グーグルアース で遠山郷を見てみました。
 森林が覆う山並みの襞々なかで、下栗の里だけが山頂付近まで開かれていて、眼を見晴らされます。
 

 

 

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        下栗拾五社大明(霜月祭りの場)             段々畑 (標高979m)

 

私たちは、拾五社大明神の真下の”民宿みやした”に泊まりました。 

部屋には、石油ストーブとコタツがまだありました。
宿のご主人と、囲炉裏を囲んで色々と話し込みました。

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   民宿みやした        囲炉裏     二階の部屋から

 

崖上に建っているため、庭先からの眺めは素晴らしいです。
明るく開けた大空間です。

民宿のおかあさんは、秋の紅葉の時期は 向かいの山が真っ赤になってそれは綺麗ですよ と話してくれました。
新緑の若葉の季節もいいだろうな、と感じました。 


朝は、ウグイスの声、他の鳥たちの鳴き声が充満しています。
部屋の窓上にはツバメが巣を作っていて飛来して来ます。

朝6時、夕方6時、夜9時には この傾斜面の集落に時刻を告げる音楽が響きました。

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下栗の里には民宿が二軒あります。もう一軒は 斜面を下った処にある”民宿ひなた”です。 
ここも、遠山川の渓谷を眼下に見下ろす絶景の地です。

 

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下栗の里の一番上には 半場という集落があります。 
集落の上に、学校跡の平地があり、村営の宿泊施設・農家レストラン・クラインガルテンが建っています。
ここは、標高1,076mです。

 

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   クラインガルテン 天耕之家       高原ロッジ下栗       そば処 はんば亭

 

ここからの景色は抜群です。

03_hannba20.JPG (69204 バイト)   半場の集落(1)
03_hannba21.JPG (56631 バイト)   半場の集落(2)

 

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下栗の里から、渓流沿いの上村に降ります。

ここは旧秋葉街道の上町宿です。

遠山郷の伝統行事 霜月祭りの中心地です。 まつり伝承館天伯で内容などを説明して頂きました。

 

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           上村川        上町正八幡宮   遠山郷の地形模型があり参考になった

 

 渓流沿いに、国道152号を北上します。

 途中、農家レストラン「村の茶屋」で、地場産の蕎麦で早い昼食を。

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 ここを逃すと、当分食事にはありつけません。

 

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地蔵峠       Mapion地図

 

国道152号線は、地蔵峠の手前で終結しています。 
そして峠の上から大鹿村に向けて再開しています。 (不通区間があるため、国道では峠を通り抜けることは出来ません。)

終端のかなり手前から、迂回路で峠に達する山岳ルート(林道)があるものの、冬季は通行禁止です。
民宿でも、村の茶屋でも、この地蔵峠越えはまだ不通と聞いていました。
しかし、まつり伝承館天伯の館長さんが調べてくれて、OKになっている、とのことで向かいました。

 

九十九折をどんどん上って行きます。 眺望が開けて来ます。
葉を落とし裸になったカラマツ林の樹相がとても美しい。

05_jizou01.JPG (70969 バイト)  中央の尾根が崩落しています。

 

 

 

地蔵峠越えの道を走行していて、鹿に出会いました。

見晴らしの良い道路わきのガレ場にいて、石の間から何かを食べている様子です。
車を止め、ウインドを開け眺めていたが、鹿は驚いて逃げる様子もなく、しばらく留まってから、もう一頭と共に去って行きました。

われわれを出迎えてくれてたように感じました。

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ところどころ 岩山が崩壊しています。 
山桜のほかに 山ツツジが咲いていました。

途中に、中央構造線の眼に見える証拠ー安康の露頭岩があることを知ったのは、帰ってきて調べてからでした。

 

05_jizou06.JPG (68051 バイト)  里に出ます。

 桜や花モモが咲く美しい山里が これから続きます。

 この狭い山道も国道152号です。

 

 

 

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大鹿村

 

 大鹿村を走り抜けての印象は、とても美しい山里、ということに尽きます。

 歴史的には、南北朝時代に南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が30年以上活動していた、信濃宮方(南朝)の本拠地でもあります。 
 (この宮様の波乱万丈な生涯には全く驚かされました。 Wikipedia 宗良親王 )

 

 大鹿村の大河原に到着です。
 今までの山あいが嘘のように、ぱっと開かれた明るい盆地です。

 小渋川にかかる橋からの、はじめて見る赤石岳です。 標高は3120m。

 陽光を浴びて、真っ白く輝いており、その山容はすごく存在感があり、ヒマラヤのようにその輝きは神秘的でした。
 すっかり赤石岳にほれ込んでしまいました。

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06_ooshika02.JPG (56039 バイト)  反対側の下流方向です。

 山が崩壊しています。 


大鹿村は中央構造線が走っているため、村営の
大鹿村中央構造線博物館(頁末リンク参照)があります。

 写真の左岸・橋奥に見える建物でしょう。

 

 

 

大河原を過ぎて鹿塩へ向かいます。

鹿塩を過ぎて、のどかな道(左下 R152)を清流沿いに走っていくと、”体験民宿たかやす” があります。

おかあさん100選に選ばれた体験民宿です。 周辺には綺麗な清流と山の他は何もなし。
ここのおかあさんには東京で何度かお会いしていますが、時間がないので挨拶もせずそのまま北上。

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分杭峠に近い場所に”鹿塩マイロナイト帯観察ルート入り口” という標識がありました。

06_ooshika06.JPG (59336 バイト)  ここも時間がないので通り過ぎました。

 国際的研究ルートと書いてありました。

 

 

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分杭峠       Mapion地図


 標高 1,424m。
 しかし、大鹿村から徐々に上がってきていたため、そんな標高になっているとは思ってもみませんでした。

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 峠の頂上に、高遠藩が建てた、”此れより北 高遠領”
 という石碑があります。

 

 

分杭峠でゼロ磁場に遭遇したのは、全くの偶然でした。

07_bunkui01.jpg (31597 バイト)  大鹿村から上ってきて、
 峠の展望場所で高遠方向を眺めていると、
 すぐ下にも展望場所があって車が沢山駐車しています。
      下の展望所  渓谷の先が高遠方面

 

見晴らしが良い高い此処に、何で来ないのか? と、不思議に思っていると、

同行者が、”ゼロなんとか という看板が見える。” と云ったので、じゃ何か確かめて見よう、というのが発端でした。

 

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下の駐車場広場から下りていくと、渓谷がはじまる沢に簡易ベンチが設置されており、人々が気を感じるように座っていました。
ちょうど中央構造線のV字沢に当たる場所です。

中高年の少人数グループや、カップル、神官のような服装の人、若い人からお年寄りまで様々な人が訪れていました。

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この場所では特に感じるものはありませんでした。
身体を巡る気の流れの、滞っていたところ(気滞)が直っても、自覚するのはなかなか難しいでしょう。



体験を終え、峠から152号を下って行くと、下のほうにミネラルウォーターの工場があり、「ゼロ磁場の秘水」を売ってました。
1本買いましたが、普通100円程度の水が、この現地での直販で250円もし、あきれました。

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帰ってきて、「ゼロ磁場」でネット検索すると色々出てきて、がぜん興味が湧きました。

そこで考えた(妄想的)推論です。

 
 ゼロ磁場 考

 (1)中央構造線上の分杭峠で、エネルギーが放出される場が出現するのは地質的に有り得る。
  ・分杭峠でゼロ磁場ポイントが発見されたのは、国道152号線が通過しており、比較的行き易い地点であったからであろう。

 (2)中央構造線上には分杭峠の他に、地蔵峠、青崩峠がある。しかも互いの間隔はほぼ25キロ程の等間隔で位置している。

  ○これは、中央構造線のV字谷を走るエネルギーが等間隔で地表に溢れ出て、そのエネルギーが谷を塞いで 峠を生成した、
    と推論できる。 三つの峠は地下からの巨大なパワーの噴出口の名残りである。 そこにゼロ磁場ポイントが出現している。

  ○エネルギーの強さでは、気功師が発見した分杭峠よりは地蔵峠が、地蔵峠よりも青崩峠の方が、崩落が続いており
   現在もエネルギーが放出されているため、より強力なゼロ磁場ポイントが存在しているはずである。
    (地蔵峠、青崩峠のポイントが知られていないのは国道152号が貫通してないため、調査が困難なためであろう。)

 (3)中央構造線上の他のゼロ磁場ポイントは何処か? 距離を伸ばしてみると、
  @青崩峠から25キロ程南に下りたポイントは何と、秋葉神社が位置している秋葉山である。火の神信仰の本山である。
  A分杭峠から40キロほど北は諏訪湖に下りる杖突峠である。そして諏訪湖は古代信仰の一大ポイントである。

 ということで、
 ゼロ磁場は分杭峠だけではなく、われわれは最大の青崩峠で噴出するパワーを浴びていたのである。
 そして竜の背骨に沿って移動し、分杭峠で気に気づいたのであった。

 なかなか楽しい考えで、「ゼロ磁場の秘水」を沢山買い込んでいた同行者との間で、大いに盛り上がりました。

 

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高遠

 

高遠はちょうど桜が真っ盛りで、沢山の観光バスが来ていました。

高遠に入るトンネル手前の勝間で、152号から満開のシダレ桜が望まれ、見に行きました。

 

08_takato01.jpg (46445 バイト)  仙丈ケ岳(3033m)

 

08_takato02.jpg (61420 バイト)   勝間の小高い丘の上にある薬師堂のしだれ桜です。

 近づくにつれ、その迫力に圧倒されました。

 

 


高遠城址の周辺は車が混んでおり、交通整理員が路上に出て車を駐車場に誘導していました。
城下町は多くの花見客で賑わっていました。

杖突峠を下るまで、我々は観光バスの後について行くことになりました。

 

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 ムービー

 青崩峠〜地蔵峠〜分杭峠と走った記録をムービーに編集しました。

 このページの総集編です。ご覧ください。

 

←画面クリックで動画 (YouTubeに収納

 

  ・ 映像時間    4分59秒

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 <後記>
 
 撮った写真にGPSレコーダーから緯度経度を挿入し、地図の上に落してサムネイルを表示させ、撮影位置を確認していた。
 山中で遭遇した美しい鹿の写真を地図上に落して驚いた。 
 そこはV字谷の沢が行き止まりになった地蔵峠の中心。ゼロ磁場帯があっておかしくない地域である。

 この位置での鹿との出会いは、幸運な偶然として見るのか?
 それとも、自然からのサインとして見るのか?

 臆病な野生の鹿が、なかなか立ち去らずに我々を眺めていたのは、ゼロ磁場の気をそこで浴びて休息していたのであろう。
 我々を見つめたあのまなざしは、ここは神聖な場所だよ、というお告げであったのだ、と悟った。
 あのガレ場は、明るく開けた気持ちのいい場所であり、下から気が湧出しているパワースポットであると確信した。
 位置は、緯度経度でピンポイントで確認・記録済みである。
 



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2009年4月26日(了)

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宇田川 東

 

リンク 大鹿村中央構造線博物館 博物館の真下を中央構造線が通る。GPS電子基準点もあり、日本列島の変形の様子を観測。
日本地震予知協会 ページ「龍の道」は、中央構造線、フォッサマグナ上の磁気プラズマの噴出についての考察。
ゼロ磁場のサイト 分杭峠ゼロ磁場の情報サイト。「ランドサットから見た中央構造線と分杭峠」の写真は必見。
Take your time 地震に関心ある方に。 私はローカルグルメ探訪に興味。