家庭内外暴露日記

個人的なストレス発散の場所やねん!!
家庭内の不満も会社のグチも暴露してまうねん!!

...でも、嫁さんとはラブラブやで(^^)ゞ...

線

☆過去の日記☆

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2000年7月31日(月) パソコンがデカくなった!

PCを立ち上げると、何だかいつもと様子が違う。何が違うんやろ?・・・と思ってディスプレイを良くみてみると・・・いや、良く見んでも分かるっちゅーねん。アイコンがデカいのだ!
僕はすっかりうろたえて、
「パソコンがデカくなった(ToT)!!」
と叫んでしまった。

おまけに、メインのメーラーとして使ってるポストペットはおろか、インターネットエクスプローラーもないがな!!

こんなサイトのウェブマスターをしているので勘違いされている方もいるかも知れないが、僕は結構コンピュータ音痴なのである。どないしたらええねん!?

ポスペとIEはショートカットキーがなくなってただけだから良かったが、結局、アイコンもウィンドウも大きいままなのである。これ、どうやって元に戻すのん?

・・・っちゅーか、頼むから勝手に設定変わらんとってくれ(T^T)。
何も悪いことしてないのに。

2000年7月30日(日) 練習の後

10時半から始まったバンド練習は昼過ぎの1時半に終了。
昼飯食いに行くか? という話をしていると、河田が「買い物があるので早く帰らなければいけない」とのこと。

じゃあ、3人で行くかー、と言いながら練習のテープをダビングしていると、どうしてもガマンできなくなった河田が「ダビングが終わるまで1本くらい飲めるやろー」と缶ビールを飲みだした。

ところが1本では止まらない、そして、周りを巻き込む河田。
気がつけば4人で「かんぱーい」と缶を掲げている。河田は2本目である。

ダビングはとっくに終わったのに、いつの間にか椅子に腰を落ち着けてしまったのが災いして、僕たちはさらにそれぞれ缶ビールを購入。こうなったら止まらない。
挙げ句の果てには隣のコンビニに“あて”を買いに行き、さらにそれぞれもう1本ビールを購入。

「おお、もう3時半や。いい加減に帰らな買い物に間に合えへん」
って、河田。昼飯食いに行けたんとちゃうん?
しかし、練習が終わってからスタジオのロビーで2時間も酒盛りをする僕たちって一体・・・。

2000年7月29日(土) 黒部・立山アルペンルート2泊3日の旅・3

打って変わって物凄い晴天である。
朝からトロッコ列車。黒部の山の中をずんずん進むのだ。

ところがところが。旅程の関係で僕たちは目的地の欅平(けやきだいら)に40分しか居れない。すぐにまた戻らなければならないのだ。

欅平に着くと、「猿飛峡」というスポットがあることを知った。が、700m先とある。
「どうする?」
「行きたい」
「片道、10分はかかるで。往復で20分。もうすでに10分経ったから、ほとんどギリギリやで」

しかし、僕は見逃していた。案内板には「←猿飛峡 20分」と書いてあったのを。上りや下りの激しい道なので、時間がかかるのである。
そうとは知らなかったのだが、時計と睨めっこしながら道行く人たちをどんどん追い抜きながら小走りで猿飛峡へ。

はあはあぜえぜえ、と肩で息をしながら記念写真を撮るととんぼ返り。
駅に戻ると発車2分前である。ああ、せわしないなあ。

これが災いしたのか(?)、帰りの電車ではまたまたぐーすか眠る我々夫婦であった。

ところが今日はこれで終わりではない。
残りの1社となっていたS社から『不合格通知』が来ていたのである。うわあ。一体どうなんねん、マジで。

2000年7月28日(金) 黒部・立山アルペンルート2泊3日の旅・2

結局、雨である。
黒部ダムを皮切りに、ケーブルカー、トロリーバス、ロープウェイなどを乗り継いでアルペンルートを進むのだが、雨はじゃじゃ降りであった。残念。
しかしまあ、こういう景観に出会えると言うのは良い経験であった。

生憎の天気にもかかわらず観光客はめちゃくちゃ多かったが、やはりそれだけのことはあるのだ。オススメの観光スポットであると言えよう。

が、相変わらずバスの中や、その後の列車の中では寝まくる我々夫婦であった。どないなっとんねん。

宇奈月温泉の最高級の旅館に着き、最高の温泉と料理を楽しみ、部屋でまったり。
しかし。
「なあ、こんなしょーもないドラマ見るくらいやったら別のん見ようや」
「私はこれを毎週見てるねん」

腹が立って部屋を出、ゲームセンターでゲームをした後、再び温泉に入る僕であった。
でも、こんなもんは夫婦喧嘩でも何でもないねんよ。

2000年7月27日(木) 黒部・立山アルペンルート2泊3日の旅・1

大阪から松本まで特急で4時間。時間潰しのために張り切って雑誌を買い込んで行ったにもかかわらず、3時間は眠ってしまう我々夫婦であった。

乗り換えの都合で昼食もままならず、適当に買い食いをして、さらに次の列車へ。
しかし、この頃から雨がじゃんじゃん降る。まあ、今日は旅館に行くだけだからいいけど、明日は止んでほしいなあ。

旅館に着いたの3時半。少し休憩して早速温泉へ。
まだ時間が早いのでほとんど貸し切り状態である。極楽極楽。

夕食は部屋で。この「部屋で」というのが重要で、独身時代から数えると嫁さんとはかれこれ20回ほどは旅行に行っているが、部屋での夕食にハズレはない。
ちなみに今回はかなりリッチな旅行なので(料金的には昨年のシンガポール旅行に匹敵する)、温泉もステキだし、料理も死ぬほど美味かった。

そして何と僕は9時過ぎにはうつらうつらしてしまう。・・・が、10時過ぎに携帯が鳴って起こされる。
人材会社からであった。最終面接まで行ったM社の結果であった。
「M社は○県での人材が欲しかったようで、○県だと合格です。けど、うめさんが希望している関西圏での勤務先では空きがないということで、今回は見送らせていただくという連絡を受けまして・・・」

ぎええええ。エラいさんを目の前にして強気に出たのが裏目だった。けど、○県じゃ、どっちみち行く気はなかったしなあ。しゃーないか。
で、そのまま不貞寝。

2000年7月26日(水) プロの主婦

明日から旅行に行くので(それが理由?)、嫁さんに部屋の掃除を言い渡されていた。
普段はなかなかA型の実力を発揮できない僕であるが(つまり、モノを片づけない)、いざ掃除をするとなると、徹底的にヤルのだ。細かいのだ。

部屋はもちろん、廊下まで掃除機を掛け、風呂場の外にあるガス装置やパイプに溜まっている埃まで綺麗に取り除くという徹底ぶりである。

ところがそういう自分の善行を黙っておけないのもA型である、いや、僕の性格である。
嫁さんが仕事から帰ってくるとすぐさま自慢したのだ。

「なあなあ、今日の掃除はハンパやないで・・・」
僕は滔々(とうとう)と説明を始めた。
「普段お前が見向きもせんところまで綺麗にしてんから」
「私かてアンタが普段してないところやってるっちゅーねん!」
「何を負け惜しみ言うてんねん。どこを掃除してんねん?」
「風呂場のタイルを磨いたことあるか? コンロの周りとか下とか、アンタ、掃除したことあるか? 換気扇の羽根を取って、油を綺麗に取り除いたことあるか? ・・・・・・」

兼業とは言え、さすがにプロの主婦である。僕はぐうの音も出なかった。ぐう。

※明日から嫁さんと黒部・立山アルペンルート2泊3日の旅行に行ってきまーす。

2000年7月25日(火) 新聞とインターネットの威力

実家に電話をして久しぶりにおかんと話をした。
こうしてHPを公開し、メールマガジンを発行し、ついには産経新聞に載っても、僕は「よほどの偶然がない限り知り合いにバレることはないじゃろ」と高を括っていた。

田舎のおばあちゃんやその親戚たちが、ついに新聞によって僕の悪行(ん?)を知ってしまったことは以前に書いたが、まあ、取材を受けた時点でそういうのはある程度予想していたし、新聞の記事自体は(プロフィール参照)大したことはなかったし、懲りずに僕は相変わらずアホな話を全世界に向けて発信し続けているのである。

「おばあちゃんとかさっちゃんが・・・」とおかんが言う。
その話は聞いたよ、新聞を見たっちゅーねんやろ、と言い返そうと思ったら、さらにセリフは続いた。
「アンタのページを見たとか言うてて、会社のことも知っててんよ。アンタ、ちょっと、恥ずかしいことばっかし書いてたらアカンで」
「へ?」
「さっちゃんだけじゃなくて、周りの人も見たりしてるみたいやし」
「えええ? 田舎の親戚がネットぉ!?」

田舎の人たちがインターネットなんて、と、はっきし言ってナメていた。と言うか、そんなことは考えもしなかった。しかし、良く考えるとそういう地域性を取り除いてこそのインターネットである。

「なあ、この電話、今日の日記のネタにしていい?」
「アカンわっ!! 何を考えてるんよ、アンタは。ホンマに恥ずかしい」
そう言われても、結局書いてしまいました。ゴメンね、かーちゃん。

しかし。
僕は少数の知り合いのために恥ずかしいことを書かないなら死んでもいい、くらいの気持ちでやってるのだ。うはははは。

2000年7月24日(月) 寂しいひととき

仕事で会社に行った。いや、仕事と言えるほどのものではない。が、きっとこれが最後。いや、最後は辞表を出しにくる時か。

とにかく。
工場はもう操業が終わり、10人くらいしかいないひっそりとした事務所を通り抜けて、設計室へ。
仕事を終え、一人ぽつんと設計室にいると、数々の想い出が走馬灯のように脳裏をよぎる。

ああ。
ここに吉水さんが座ってて、「しっかりせんかい」と檄を飛ばしたよなあ。
友田さんがせっせと仕事をしてたけど、「ミスすんなよおっさん」と心の中で思ったこともあったよなあ。

もともと女々しく感傷的な僕は、寂しくなって涙が出そうになった。でーへんかったけどね。
ツブれてしまったけど、良い人たちに囲まれて仕事ができたよ。イヤなこともいっぱいあったけど、良いこともいっぱいあった。今では全部、良い想い出やよ。
みんなもう、去ってしまったけど・・・ありがとう。楽しい8年でした。

それにしても、そのほとんどの人たちが、すでに次の職場で働き始め、あるいは次の会社が決まってるっちゅーのに、僕はこんなところでひっそりと感傷に浸ってる場合ではありまへんがな。
僕の未来は、どうなるのかなあ。

2000年7月23日(日) どっちが悪い?

「あああ」
午後のひととき、嫁さんがベランダで叫び声を上げている。行ってみると、アホ嫁がまたやってしまっているのである。干していた毛布を落とし、それが下の2階の突き出し式の物干し竿に引っ掛かっているのだ。

「お前はアホか。何回同じ事したら気が済むねん」
「だって、風が強く吹いてんもん(`O´)。ちょっと物干し竿で取れるかやってみて」

下の階の物干し竿に引っ掛かったウチの毛布を、この嫁は長い棒を使って取ってみろ、と言うのだ。
命令だから仕方がない。
ウチの物干し竿は結構高い位置に架けるようになっている。僕は上を向いて物干し竿を手に・・・って、おい。手に取ろうとした物干し竿は僕の手を離れてするするとベランダの端から下に落っこってしまった。

「もう!! アンタは何をしてるんよっ(怒)!!!」
「う、うるさい!! 元はと言えば毛布を落とすお前が悪いんやろがっ!!!」
「昼間っからビールをかっ食らってるふらふらしてるから物干し竿落とすんじゃっ!!」

え? ぼ、僕が悪いのん?

2000年7月22日(土) 主夫として・・・

朝、仕事に行く前に嫁さんが言った。
「今夜は“肉じゃが”しといてー」
「はいよー」

ほんの数年前はまな板の上のたまねぎを目の前にして、
「こいつは一体どっち向きに切ったらええんや???」
と30分悩んでいたのが嘘のようである。

ま、肉じゃがくらい、主夫としては朝飯前なのだ。はっはっは。

2000年7月21日(金) ストライクはダメよ

今日も嫁さんは仕事が休みだったので、ホントに何年かぶりに嫁さんとボーリングに行ったのである。

ところが案の定、嫁さんの調子が思わしくない。まあ、調子が良ければ100点が取れるかどうかの実力なのだが、今日は70点の壁が越せないのだ。

たまに嫁さんがストライクやスペアを取ると、はたまた1投目で9ピン倒しただけでも、
「おおっ!! 今のん良かったなー!!」
パチパチパチと、僕は褒め称える。

僕もボーリングはそれほど上手くはない。が、1ゲームに2つ3つ、調子が良ければ4つ5つはストライクやスペアを取る。
つまり、どうしても嫁さんよりは多い。

ガラガラガッシャーン!!
「よおっしゃあ!! ダブル来たでぇ〜」
僕はガッツポーズで席へ戻る。
「アンタは、私がこんなに調子が悪いのにぃー!!」
バシッ!! ドカッ!!・・・なんでどつかれるねん。

普通、カップルでのボーリングで男がストライクなんぞ取ったときには「きゃあステキ」ってなるんとちゃうのん(ToT)?

2000年7月20日(木) 二つの忘れ物

朝、嫁さんがぐーぐーと寝ている。もうとっくに起きてないといけない時間のハズである。
「なー、お前、仕事は?」
「何を寝ぼけたこと言うてんねん・・・」
と寝ぼけつつ嫁さんが言う。お前が寝ぼけてるんとちゃうん?

と、そこまで考えて僕は、はた、と気付いた。
今日は海の日という祝日で世間はお休みではあーりませんか。
毎日お休みの僕はすっかり忘れていたのである。何だかも一つ忘れているような気がしないでもないが、僕もそのまま再びくーくーと眠りに就いた。

さて。昼前に起きた僕たちは昨日の残りのカレーを食べ、ごろごろうだうだとTVを見ていた。と、そこへ電話が鳴った。
「もしもしー、小西ですけど」
「あ、小西さん」
「こうめ、今何してるのん?」
「家でごろごろしてますけど・・・って、あれ? 今日、バンドの練習でしたっけ?」
「そう(ーー;)。10時半から1時半まで」
「げげげっ!!!」

「げげげ」と言いたかったのはきっと小西さんの方だったろう。
電話をもらったのは1時過ぎ。もちろん間に合うはずもない。が、結局2時半から1時間スタジオが取れたので、何とかその練習には参加できた僕であった。

2000年7月19日(水) 昔の同僚

数日前、掲示板に昔の同僚と名乗る投稿があった。はて、誰じゃらほい? と思っていたら、今日、メールが来た。
なんと、土用君であったのだっ!!・・・と言ってもワケ分からんわな。

S工業の同期入社であった土用君は僕と同じ部署に配属され、その後部署ごとR社への出向となったので一緒にR社で働いていたのだが(と言っても土用君は事務系だからあんまり仕事では関わりはなかったけど)、出向後1年ほどで会社を辞めてしまったのである。
今年R社はツブれることとなったので、さすが日本の最高学府を卒業した土用君、先見の明があったと言えよう。

その後土用君はドイツへ留学したり、博士課程の単位を取得したり、と、凡人の僕なんかには及びもつかない道をたどっていたのだが、最後に会ったのは確か5〜6年前。
大阪にいるのは何となく知っていたが、そんな彼からまさかメールが来るなんて、ビックリして、嬉しくって、腰を抜かしそうになったほどである。いやあ、ネットってすごいなあ(*^-^*)。

それにしてもメールには、どうして土用君が『ぷらむずぶっく』を見つけることになったのかの説明はなかった。ともあれ、物凄い偶然もあったものである。

ところで土用君。「烏兎怱怱」なんてそんな難しい四字熟語を使われても、さすがの僕も(←自信過剰め!)分かりまへんがな。読めたけど(←負けず嫌いめ!)。
さすがに最高学府を卒業しただけはある。

2000年7月18日(火) PATが当たった。

PATが当たったのだ。PATとはJRAの電話投票のシステムなのだ。つまり、もう競馬場や場外馬券売り場に行かなくても、パソコンから電話回線で馬券が買えるのだ。あと数ヶ月後にね。

しかし、これがまためんどくさくて、住民票が必要であったり、新たに銀行の新規口座を作らねばならなかったりするのだ。しかも、2週間以内に。
僕はまあ、現在こういう状況だからいいけどさ、本当だったら仕事を休まないとモロモロの手続きができないところであったのだ。

さて。話は3年前に遡る。
僕はマンション住まいで、しかも電話を引いてなくて、いずれすぐに引越しする予定であったので、とりあえず実家の住所での応募したのであった。親に「JRAから何か送られてきたら連絡してなー」と言っておいたのは言うまでもない。

PATの応募というのは一度すると、その後当選するまで有効なのである。抽選は年に2〜3回ある。
その応募からからおよそ1年半後のこと。それが3年前。
珍しく実家に帰った僕は、ふと、PATのことを思い出して母親に聞いてみた。

「なあ、もうそろそろPAT当たってもええ頃ちゃうかなあと思うねんけどJRAから何か送られてきてない?」
「ああ、そう言えばちょっと前に何か来てたなぁ」
「えっ!? ホンマ?・・・うわっ! 何が“ちょっと前”やねん!! 1ヶ月も前に来てるやん、しかも速達で!! すぐに連絡してくれよー。うげげっ!! しかも登録締め切り2週間も過ぎてるやん(ToT)!! 当選がパアやないかーっ(怒)!!!・・・JRAから郵送があったら連絡してって言うてたのにぃ・・・」
「え? そうやったっけ? ゴメンゴメン」

・・・というエピソードがあって一度当選をフイにしてしまい、昨年の秋に応募し直したので、やっと当たってホントに嬉しいのだ。

2000年7月17日(月) 役員面接第2弾

朝の7時に早出の嫁さんを送り、自身は8時に家を出た。今日はK社の役員面接である。

例によって汗だくで到着すると、事務のお姉さんから説明を受ける。
「今回は最終の面接となりますので、結果の報告にはこれまでより時間がかかります」
へ?
1次面接に合格すればもうこっちのもん、と豪語していたのに、落ちることもあるんやー、と始まる前からすっかり意気消沈してしまった。

それでもまあ、面接は良い感じで進んだのだが、
「それにしても、伝統のあるS社なんていうしっかりした良い会社をどうして辞めようと考えているのですか?」
という面接官の質問に、僕はぐっと詰まってしまった。

業績は悪いし、30年以上も続いた社内報も廃止になるし、ボーナスは愕然と(←言葉づかいがおかしい)減ったし、甲○園の社宅も売りに出してるし、まったくええことありまへんのや、というような内情暴露話はさすがにできず、あのう、そのう、であったのだ。

しかし、ま、面接の出来としてはこんなもんやろ、という感じであったので、後悔はしない。

あまりの暑さに10リットルくらい汗をかいたので、1時過ぎに帰宅すると鬼のように500mlx1+350mlx2のビールを飲み干してしまった。

2000年7月16日(日) BBQ大会

嫁さんは8時に家を出た。
僕は12時頃にやっと起き、主催者の千秋ちゃん夫妻に電話する。
で、13時に大泉緑地で合流。

オフ会ではあんまし食べずに飲んでばかりいたのか腹が減っていて、むさぼるように肉を食う。
ちなみに参加したのはウチを入れて4世帯。ウチ以外はみんな子持ちである。

昨日に引き続きナゼか子供に好かれる僕は、子供たち(今日は主に赤ちゃん)と遊び、それでもやっぱり「子供はいいなあ」と思いつつ、2日連続の暴飲暴食暴挙暴動に終止符を打ったのであった。

子供もいいけど・・・疲れたっす。

2000年7月15日(土) オフ会その後

さて。次の日にBBQ大会を控えていたので、今日こそは終電で帰ろうと思っていたのだ。
で。電車に間に合うように健全に解散したのだ。

まゆちゃんの電車に間に合わせるためにJR大阪駅まで送り、12時24分が最終と調べていた僕は余裕を持って阪急電車へ。
余裕のよっちゃんで間に合い、電車に乗って席に座ると、あらま、不覚。あっさりと眠ってしまった。

気がつくと駅員さんが「これこれ」と僕を起こす。
え? ここはどこ?
・・・って、おい。電車発車してへんがな。

こればっかしは今となってもどうなってたのか分からんのだが、僕は梅田にいた。つまり、乗った電車は動いてないのだ。時間は12時45分。終電はとっくにない。

どうなってんねん!?
仕方なくそのまま改札を出るのだが、「ピンポーン」と言われ、ナゼか清算金110円を払って出た。

酔いと眠さでふらふらの僕はあっと言う間に自分の居場所が分からなくなった。梅田の降り口に僕が知らない場所があるなんて思ってもみなかった。一体、ココはどこやねん!?

あんまりに心細くて、近くのホテルに泊まっているはずの後輩の美杉の部屋に泊めてもらおうと思って(すでに理性がない)電話をしようと思ったら、携帯電話があれへんがな(ToT)!!
仕方なく家に電話する。嫁さんが出る。
「終電乗り遅れた(ToT)。迎えに来て」
「どこにおるん?」
「梅田やってことは分かるねんけど、細かい場所は分からん」
「どうやって迎えに行くねん!! タクシーで帰って来い!」

駅の外に出ると、上手くタクシー乗り場があったのだが、長い行列。しかもタクシーはまったくあらへん。
こんなもん、待ってられへんがな・・・と僕はワケも分からず道を歩き始めた。
ちょうどタクシー乗り場へ向かおうというタクシーが止まってくれた。

「兄ちゃん、どこまで行くねん?」
「塚口」
「神戸まで行かへんか?」
「何で神戸まで行かなあかんねん」
「塚口ってどれくらいかかるんや? わし、よう知らんねん」
「多分4000円くらい」
「ほんだらあと1000円張り込んで5000円出しいな。ほんだら行ったるわ」
「分かった分かった。5000円でええから行ってくれ」

・・・と、かようにして僕は家に帰ったのだ。どうだ。参ったか。

2000年7月15日(土) 第3回うめさんオフ会

遠方からお越しのソレイユさんも無事に集合場所に到着した頃には僕はすでにyukapiさんのお子様たちの遊び道具と化していた。
バシッと決めていったはずのつんつん頭はえむちゃんには「それ、変」と一笑に付され、相変わらずお子様達はじゃれついて、「スーパーサイヤ人やねんぞ!」という僕の言葉など馬の耳に念仏であったのだ。

1次会では、出席が懸念された幹事の丸ちゃんも、あゆちゃんも少々の遅れで出席できたので万万歳であったのだが、僕は3人の坊主の相手に必死であり、「さすが保母のダンナ!」とホメられ(?)、すっかりジャングルジムと化していた。
まあとにかく人見知りなんて言葉は何処吹く風のお子様達は可愛かったっす。

坊主たち攻撃を避けながら、今回初めて参加の女性たちと親交を深める。
きょんさんは大人しくて、あんまりのオフ会の激しさに引いていたのではと心配もしたのだけど、杞憂に終わったようである。ちょっとしか話せなかったが、楽しんでもらってたみたいだし。

美杉が急遽連れてきたまゆさんとはあんまり話せなかったが、清楚な浴衣が良く似合う女性であった。楽しんでくれたかな?

やったんさんの第一印象は大人の女性って感じだったのだけど、飲む飲む。「飲める女性は大好きじゃー」とすっかり喜んでしまった僕であった。

あゆちゃんはおニューのワンピースで男共を魅了し、僕もすっかり酔ってしまった。10歳も上の僕を酔わせるとはおそるべし22歳である。

ソレイユさんはネット上では大人のおねいさんという感じだったのだが、会ってみるとなんとも可愛らしい女性で(実際20代前半だし)、これなら浮気も良し、と思ってしまった(こら)。

ところで残念ながらyukapiさんとはあんまり話せなかった。なぜなら・・・小さな怪獣たちが話をさせてくれなかったからである。ちなみに怪獣たちはとてもかわいくて、これなら子供を持つのも悪くないなーと思った。

えむちゃんは相変わらずステキなおねーさんであり、美杉は今日は浴衣姿がとってもかわいかった。後輩でなければ・・・。

男共はみんな初対面ではないのでどうでも良かろう。ま、それぞれ楽しんでくれたようなので、主催者としてはとっても嬉しい。

さて、2次会はカラオケ。
ワインを飲むと記憶がなくなるので自制して飲まなかったのに、ビールだけですっかり酔ってしまった僕は、最初に「紙ヒコーキくもり空わって」しか歌えなかったのが残念。
参加者が「公開してもOK」と言ってくれたら公開したいその現場写真入りのページをつんしゃんさんが作ってくれたのだが、みんな、どうですか?
ま、酒池肉林だったと言えよう。

すぐにでも次のオフ会がしたくなるようなとっても楽しい飲み会であった。
3次会はほとんど覚えてません。

2000年7月14日(金) 嫁さんの奢り

休みだった嫁さんが、美容院に行くと言うので車で送ったのだ。
「5時半くらいにまた迎えに来てねー」
と言うので、一旦家に帰ってから、5時25分に家を出た。家から美容院まで車で約10分。5分の遅刻である。

しかし、嫁さんはいない。
近くに車を駐めて美容院を覗くと嫁さんが窓際の席に座っているのが見えた。まだ終わっていないのだ。
僕に気付くと、ジェスチャーで「あと30分」と示す嫁さん。

おいおい(-_-;)。往復で20分かかるので、家に戻ってもいられるのは10分。それならそのまま待ってた方がいいやんなあ。

が、しかし。車の中で待てど暮らせど嫁さんは来ない。結局そこで1時間待ち、嫁さんがやってきたのは6時半過ぎ。
「お前なー、どれだけ待たすねん。罰として晩飯奢れ」
「ゴメンって言うてるやん。分かったよ、奢るよー」

そのままファミレスへ行き、レジでお金を払う嫁さん。
あれ?
なあ、その財布、家の財布やん。お前の奢りとちゃうやん。

2000年7月13日(木) 健全な生活?

ここ数日、どうもおかしいのだ。
生活サイクルが、すっかり『健全』になってしまっているのである。
仕事に出てないので、晩飯は7時くらいに嫁さんと食べる。ちょっと休憩して風呂に入ったら、9時〜10時。

で。
そのまま眠ってしまうのだ! こんな早い時間に!
・・・と言うワケで、ここ数日、この日記を書くのは翌日の午前中ってなことになってしまっているのである。どうしよう。

2000年7月12日(水) 近所の奥様達

主夫生活に入ってから、たいてい嫁さんを駅まで車で送り迎えしているのだが、実は困ったことがあるのだ。
夕方、嫁さんから電話が入り、迎えに行く。で、その時間というのが近所の奥様達が前の道路で子供を遊ばせているのである。
道路には子供の遊び道具や自転車が散乱していて、車を出そうと思ったらそれらを全部どかしてもらわないといけないのだ。

しかも、毎日夕方に車を出す僕を見て、「あのご主人、仕事してんのかな?」なんて噂もされているかもしれない。どうにも居心地の悪い思いをしなければならないのである。

今日も車を出す時にそれらをどかしてもらい、嫁さんを拾って10分ほどで帰ってくると、これ見よがしにまたそれらが散乱している。
仕方がないので、奥様達が帰ってから駐車場に車を入れることにして団地の横に車を駐めた。
「裏に公園があるんやからよー、そこで遊んでくれやい」
とは奥様集団にはコワくて言えない。えーん。

2000年7月11日(火) 役員面接

M社の役員面接があったのだ。
普通、書類(履歴書+職務経歴書)選考にパスし、1次面接に合格すれば内定はもらったようなものなので、かなりリラックスして行った。たった一つの不安を除いては。

面接は結構和やかなムードで、4人の面接官を前にしても、僕はほとんど緊張していなかった。が、そこへ恐れていたことが起こったのである。
面接官の一人が問うた。
「うめさんは当然、ウチの製品についてはご存知だと思いますが、具体的にはうめさんの技術をウチのどの製品に生かせるとお思いですか?」

がーん。
そうなのだ。リラックスするあまり、下調べを怠っていたのである。面接を受ける企業の製品を知らないなんて、言語道断である。
「えっと・・・」
僕は固まってしまった。

2次面接で不合格なんて聞いたことはないのだが・・・ダメかも(ToT)。能天気にもほどがあるっちゅーねん>僕。

2000年7月10日(月) 無駄なガマン

まあ昨日は二人とも休みだったから良いようなものの、僕はふと考えたのである。主夫生活と称して日々だらだらと部屋にいるというのは、イロイロ無駄も出てくるのだ。
つまり。
TVやパソコンやエアコンの電気代、あるいはインターネットの電話代などである。

それで、今日一日、“ノーエアコンデー”と決めて、ガマンすることにしたのだ。
窓を開けて風通しをよくすると、3階ということもあって、結構風が心地良く通る。

とは言っても室温は27〜29度。暑い。特に僕は汗っかきなので、じとーっと汗が出てくる。が、しかし。ガマンしたのだ。

夜、嫁さんが帰ってくると、「何かアンタ、汗臭いよ。どこか行ってたん?」と言うので、僕は得意げに事の成り行きを話して聞かせた。すると・・・。
「そんなしょーもない努力するくらいやったら、競馬やめたら?」
お、奥さん。それを言っちゃあ、ミもフタもありまへんがな(´ヘ`;)。

2000年7月9日(日) エアコン合戦の果てに

嫁さんと二人で、一日中だらだらと部屋で過ごすのもオツなものだが、この時季、困ったことがあるのだ。

僕はとにかく暑いのである。今日みたいな日にはエアコンの効いた部屋でゴロゴロしていたいのだが、寒がりの嫁さんはすぐにエアコンを消してしまうのだ。

僕の目を盗んでエアコンを消しても、数分で室温は1〜2度は上がる。暑がりの僕の皮膚は、たった1〜2度の変化も察知してしまうので、すぐにリモコンを取り返すことになる。

そこへ、嫁さんの病気が始まった。『突発性旅行したい症候群』である。
「7月末に休み取れるから、旅行に行こう!」
「何言うてんねん。職もまだちゃんと決まってないのに」
「いつくらいに決まるんよ?」
「うーん。上手くいけばあと2週間くらいかなあ・・・」
「じゃ、行けるやん」
「何でそうなるねん。それよりリモコン返せ!」

エアコンが切れた状態では、暑くて会話に集中できず、何か知らんけど2泊3日で黒部渓谷方面へ旅行に行くことになったのであった。

2000年7月8日(土) トウモロコシvsお尻

朝の9時半に家を出て、嫁さんの実家に行ったのである。畑の草むしりのお手伝いなのである。
報酬というワケでもないのだけど、帰りに色々と収穫物を頂いた。

帰宅して早速頂いたトウモロコシを茹でて食った。
美味いっ!!! 無農薬で作った農作物はやっぱり美味いのだ。思わず嫁さんに、
「すごいなあ、美味いなあ。もう、実なんかプリプリしてて、お前のプリケツ(=プリプリしたお尻)も顔負けやなあ」
と言ってしまうほど。

「何よー、ソレ(▼▼メ)」やっぱり嫁さんは怒る。
「いやいや、すまん。お前のプリケツには当然劣るわな」
「アンタはケンカ売ってんのかっ(怒)!!」

正直な感想やってんけど・・・。

2000年7月7日(金) いよいよ取り残された僕

さて。
色々と面接には行っているのだが、今日、一次面接『不合格』の通知が来た。これで2つめである。

この面接はあまり上手く行かず、しかも合格しても行くつもりはあまりなかったのだが、いざ『不合格』を送り付けられると落ち込むナァ。

これで通算3勝2敗。しかし、3勝のウチの2勝は関西圏から外れるので、もう残りの1社に決まったようなものである。
が。
この会社から二次面接の案内がまだ来ない。普通、一次面接に合格すればほとんど合格したようなものなのだが、一体どうなってんのやろ? ちょっと心配。まあ、6戦目も考えてはいるのだが。

今のところ、応募した5社は全て大企業。僕は中小企業でもいいと思ってるねんけど、親なんぞはやはり大企業に行って欲しい様子である(当たり前?)。
僕は何でも良いから早く決まって欲しい様子なのだ。

2000年7月6日(木) 取り残された僕

朝の8時半に出社したのである。「書類の後片付けに来てくれ」との連絡があったのだ。

ああ、いよいよこの会社も終わりなんやなー、と感慨にふけりそうになるひっそりとした事務所で、話すことといえば再就職の話題。

えええっ!?
かなりの人が大手企業への就職を決めているのだ。もちろん僕はまだである。
焦るやん(>_<)!!

けど、昼過ぎに帰ると、相変わらず家でだらだらだーの僕なのだ。あかんやん。

2000年7月5日(水) 釣った魚

午後から、猛然とMIDIファイル作りに勤しんだのだ。この間の日曜日のバンド練習で、僕が作った曲がイマイチ感じがつかめなかったので、デモテープならぬ、デモMIDIファイルを作ってメンバーに送ろうと思い立ったのである。

ところでこの曲、僕が独身時代に嫁さんにプレゼントした曲のうちの一つなのである。

おおよそ半分くらいできたところで嬉しくなって、思わず嫁さんに聞かせた。
「ほら、パソコンで曲作ってるねんで。何の曲か分かるo(^-^)o?」
「知らん」

こんなもんじゃ(激哀)。“釣った魚に餌をやらない”ってよく言うけど、ウチの場合は“釣った魚は無頓着”。

2000年7月4日(火) 抜き打ち電話

珍しく、午前中に親父から電話があった。僕がこのような状態なのに実家にほとんど連絡もしないため心配らしい。ちなみに親父は定年を終えて現在はちっちゃな会社に再就職している(負けとるがな)。

「たまには帰ってくるとか電話するとかせな、こっちも心配やないか。で、今何してんねん?」
「就職活動とかしてるけど、今日は自宅待機」
「お前、そんなのん気なことしててええんか?」
「そんなん言うたかて、どうしようもないやん」
「そういう時間を有効に利用して、自分の技術を磨くとか、勉強するとかせなあかんぞ。どうせお前のことやからダラダラダラダラしてんのやろ」
「う」

確かに、親父の言う通り・・・。

「何や知らんけど、新聞にも載ってたみたいやないか。ウチは産経新聞取ってないから知らんかったけど、田舎のおばーちゃんから電話あってビックリしてんぞ。何も知らせんと」
「いや、大したことやないし」
「ホンマやで。もっとええことして載ってくれ。そんなことばっかりして遊んでたらあかんぞ。大体、お前は俺の血を引いてるんやから、今、のほほーんとしてるのは分かってるんや」
「で、親父は今どこから掛けてるのん?」
「俺か? 今、事務所にだーれもおれへんからちょっと息抜きや。気兼ねせんと私用電話できるねん」

なるほど、僕はアナタの血を引いてます(笑)。

2000年7月3日(月) エスパー耳鼻咽喉科医師

咳がもうかれこれ1ヶ月ほど止まらないので、諦めて耳鼻咽喉科に行ったのだ。

症状を説明し、胃カメラの短いようなヤツを喉の奥に差し込まれ、診断を受けた。
「こ・・・これは! 見事な気管支炎ですね」
(げげげっ! やっぱし、風邪ってなワケじゃなかったんかー)
「1ヶ月も風邪にかかりっぱなしってなことはないですよ」
ん? それにしても、気管支炎て、カンタンに治るんかなあ?)
「胸の辺りが炎症を起こしてるので、うがいも効き目ナシです。ま、薬でカンタンに治るとは思いますけど」
んん? それにしても、まさかこんな病気に罹ってるなんてなあ。病名は聞いたことあるけど、周りでは聞けへんし)
「あなたの年齢くらいだと珍しいですけどね」
んんん? アンタ、何で僕の心読めるのんToT?)

で。
僕の年齢で珍しいっちゅーことは、年寄りが罹る病気なん(^◇^;)??

2000年7月2日(日) お土産のTシャツ

バンド練習にて、小西さん@ギターから新婚旅行のお土産をもらった。オーストラリアへ行ってきはったので、“シドニーオリンピック”のロゴ入りTシャツである。

帰宅すると、早速嫁さんに目ざとく見つけられた。
「あ! “自分だけ”いいなあ〜」
「なんやねん、それ。お前は関係ないねんからしゃーないやろ」
「うるさい。それ、くれ」
「あ、あほか! こ、これはライブ当日にみんなでおそろいで着るからそれまでは着たらあかんのや(←ちょっとウソ)」
「ふ〜ん。じゃあ、それが終わったらもらおうっと」

あ、あかん。これは絶対に取られる。そう言えば、JRAでもらったロゴ入りパーカーもいつの間にか嫁さんが着てた。体重は僕の方がだいぶ重いけど、身長は同じくらい。嫁さんはいっつも横取りするねん(ToT)。

2000年7月1日(土) 業務連絡・・・って、おい。

午前中は馬券を買いに行ったが、よく考えると昼からは明日のバンド練習に備えて音を取らなければならなかったのだ。

「バーゲンに行こうよぉ〜」と言っていた嫁さんに謝って、テープを何度も聞いては巻き戻し、楽譜に音符を書き込んでいく作業に没頭するが、あまりにも曲数が多いので、途中から集中力が途切れてしまった。
さらに、最後まで仕上がっていないのに面倒臭くなってやめてしまった。

と、言うワケでバンドのメンバーの皆様に業務連絡です。明日の練習はヒサンなことになりそうです・・・って、こんな日記、誰が楽しいねん・・・って言うか、メンバーはほとんどここには来えへんっちゅーねん。

嫁さんの買い物欲はそれほどでもなかったらしく、機嫌良く家でゴロゴロしていてくれたので読者の皆様が期待するような夫婦喧嘩もありまへんでした・・・って、こんな日記、誰が楽しいねん。

線

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