2009年07月10日


アリとキリギリス(物語)

 イソップ童話を代表する作品として知られているようではあるが、もともとはずっと昔にギリシアで生まれていた話であって「アリとセミ」というのが当初のお話だった。寒いヨーロッパにはセミがあまりいなかったので、キリギリスに登場いただいたというのはわりと有名な雑学だ。日本であればアリとセミでも良かったかもしれない。
 お話の内容については今更といった感がある。夏のあいだ働き続けて食料をためていたアリを尻目に、キリギリスは歌うばかりで働こうともしない。冬になって食べ物がなくなってしまったキリギリスはアリの家に行くが、アリは取り合わずにキリギリスは死んでしまったというものである。やたら短い話であるにも関わらず、キリギリスに同情する声が多かったせいかアリが食べ物を分けてあげる結末や、お礼にキリギリスがアリの巣で歌を奏でるという結末に変えられている例もあり意外にバリエーションが多い。

 この手のお話には教訓がないと気が済まない人がいるものだが、アリとキリギリスであればやはり主役はキリギリスだろうから後になって困らないように勤勉に生きなさい、というのが教訓なのだろう。アリの家で歌を奏でて生きることができるのだったら、芸は身を助けるという教訓かもしれないといえば怒られるだろうか。
 ちなみにアリの視点に立って、善行を積んでいるからといってそうでない者を助けない理由はありませんという教訓も込められているという意見もあるがそれはさすがに無理がある。キリギリスを助けるアリの姿にそれじゃあキリギリスが得してるだけじゃん、と不公平を感じるほうが子供にとってはよほど自然だ。それでは教訓も何もないし、やはりキリギリスは刹那を生きて命を落とすべきなのだろう。少なくとも自分の選んだ道でなければ満足も後悔もできないのだから。

 ところでそのキリギリスである。この昆虫、童話にある通りたいていは冬になると死んでしまうのだがそもそも寿命が一年もないのだ。春に卵がかえって夏には成虫になり、オスはギイギイと鳴くようになって秋になるまでに交尾や産卵を済ませる。成虫になってからの寿命はたった二ヶ月程度と言われ、冬になる頃にはとうに死んでいる。アリに助けられたキリギリスの余命はどのみち長くない、であれば短い命を懸命に生きるキリギリスと、自分のたくわえを与えてもそれを助けようとするアリの話であるとすれば教訓らしくて美しいだろうか。
 だが問題はアリなのだ。女王アリであれば寿命は十年とか二十年とか生きるのだが、実は働きアリの寿命は一年とか二年程度しかない。働きアリがすべてメスであることは有名だが、もちろん子孫を残すのは女王とその近辺にいるわずかなオスの役目だから、彼女たちはただ働いてコロニーを維持することだけを求められる。つまりキリギリスを助けたアリもその年か翌年にはたいてい死んでしまう。働きづくめの人生だったという訳だ。

 夏のあいだ、アリはひたすら働いて食料を家にためている。キリギリスは短い人生を謳歌するために心から歌い恋をする。やがて冬になった。食料も命も尽きたキリギリスはアリの家を訪れると扉を叩き、私はもう充分に生きましたと最後の音を奏でて息を引き取った。アリは死んだキリギリスを家に入れると奥にいる女王や子供たちのために新しい食料にしてしまう。アリはつぶやいたことだろう。ありがとう、どうせ私もすぐに行きます。でも私も充分に生きているんですよと。降り積もる雪の下で、キリギリスの卵やアリの子供たちは春が来るのを待っている。

 アリとキリギリスに教訓が必要だろうか。彼らは人に非難されるような生き方は何もしていない。
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