2008年12月08日


水の都(歴史)

 ローマ人は石は友邦であり、水は敵であると言った。イタリア半島を流れるティベリス川に沿った丘のある沼地、そこに建てられたローマの歴史は水を制することから始まっている。後にインフラストラクチャーの祖と呼ばれる古代ローマで最初に建てられた公共建造物はクロアカ・マッシマと呼ばれる大下水道であり、それは今も残っている。

 下水道といえばどのような姿を連想するだろうか。摩天楼の下にある、映画などで大泥棒が逃げ込むための汚物にあふれた地下世界だろうか。とんでもないことだ。下水道が最も流す水のひとつ、それは雨水である。道路の脇にある側溝が雨水を川に流し、川に流れた水や泥が海に流れる。そのための設備が下水道であり、これがなければ町はあふれた水で沈んでしまうのだ。
 大雨を伴うハリケーンが襲来して河川が氾濫、水浸しになった都市。そこに必要なものは高い堤防よりも優れた下水道であり、カリブ海に面する現代の大国が忘れてしまったことを古代のローマ人は知っていたようだ。とはいえ知識とは誰しもが得ていた訳ではない。今から2000年ほども昔、ティベリス川の氾濫を受けた議会が神の預言書を照覧しましょうと言った、それを聞いた時の暴君ティベリウスが呆れて呟いた言葉。

「いいから川を浚いなさい」

 世界を覆いつくした、ローマの街道は弓なりに舗装されていて排水のための側溝が設けられている。道路を整備することがどれほど水害から世界を守るかを知る者は少なく、側溝からつながる下水道が汚物とネズミの世界だと考えている者には理解しがたいかもしれない。日本という国では道路工事と同時に設けられていた、数多くの側溝と張り巡らされた下水道によってあれほど台風が訪れるにも関わらず洪水の被害は驚くほど少ない。

 当のイタリアにさえ、これを忘れて水に没してしまったヴェネツィアという都がある。そこは石の都ではない。汚水を流すことを忘れてしまった者たちが暮らす、美しい水の都である。
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