2008年12月10日


ローマ街道(歴史)

 呆れるほどまっすぐ、高低差すら感じられないほど平坦に伸びるローマ街道。山があれば山を崩し、川があれば橋をかけ、地図で見ても直線に描かれるほどにまっすぐどこまでも、何本もの道が続いている。すべての道はローマに通ずどころではない。すべての道はローマから発しているのだ。

 水はけがよくなるように、地下数メートルまで掘られた地面に何層にもわたって砂利を敷き詰める。砂ぼこりが入る余地もないほどにぴったりとした敷石がその表面を覆って、人でも馬車でも荷車でも通れるように舗装される。両脇には側溝が設けられて水を流し、1マイルごとに塚を建てて途中には旅籠やサービスエリアまで設けられる。古代ローマ全域を覆いつくすように、何本も敷かれている街道のそれぞれには建築者の名前が冠されるようになった。アッピウスのつくった街道はアッピア街道と呼ばれている。
 今から2000年ほど前、ぜんぶをつなげれば世界を数回もめぐる、敷石で舗装された街道網を整備した古代ローマ人は言った。私たちは数百年は手を加える必要がない街道網をつくったと。

 ところで田舎の農道を知っている人は、トラクターの轍で路面がすぐにでこぼこになってしまうのをご存知だろう。それがトラクターではなく、人の足や自動車の轍であっても同じことだ。道路というものは使えば使った場所が削れてへこんでいくものである。へこんだ場所には水がたまり、水がたまった路面は滑りやすくなる道理である。首都高速ではアスファルトの張りなおしがしょっちゅう行われている。

 もちろんローマの人々も道はつくるだけではなく、補修が必要であることを知っていた。表面の石を削ったり張り替えたり、側溝にたまった泥や砂を浚って水がたまらないように気を配る。それさえしていれば数百年は手を加える必要がないのだ。特に大規模な街道の補修や延長工事を行った者は、自らの名前を新しく街道に加えることもある。例えばトライアヌスが伸ばしたアッピア・トライアーナ街道のように。

 古代人ですら知っていた、街道は人が歩む限りは手入れを怠ることはできない。放置すれば路面は歪んで水があふれ、人も馬車も荷車も安心して歩くことができない代物となってしまうだろう。そして路面のほぼすべてをアスファルトで舗装しつくしたと豪語する現代の人々は言うのだ。

 もう道路整備なんて必要ないと。たいした自信である。
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