2008年12月15日


ローマ建国(歴史)

 紀元前753年4月21日。古代ローマが建国されたという日だが、実際はどうかといえばやや眉唾ものだ。この建国記念日、当初王様が治める国としてはじまったローマで後に王政が打倒されて共和政になった紀元前508年、今年を建国から245年目ということにしようということで定められている。後の研究で実際の建国年は紀元前745年であったろうともいわれており、エジプト人ほど計算が得意ではなかった当時のローマ人としては当たらずとも遠からずといったところであろうか。

 そんなローマの建国は様々なエピソードによって彩られている。それは神様や英雄がふんだんに登場するお伽噺でしかないが、とにかくロムルスとレムスという双子の兄弟がローマを建てたことは間違いないようだ。仲間を連れて放浪した末にティベリス川に面した沼地にある、点在する丘の上にたどりついた兄弟はここに自分たちの国を建てることに決めた。そこで兄弟はちょっとした賭けを行い、丘の上で飛ぶ鳥を多く見た者の名前を国につけようということになる。結果は弟ロムルスが勝ち、この国はローマと呼ばれることになったのだ。
 とにかく国ができたので次はお互いの縄張りを決めようということになり、ロムルスとレムスはそれぞれが選んだ丘と丘の間にクワで溝を掘って境界線を決める。ところが賭けに負けて機嫌が悪かったせいか、レムスがこれを踏み越えたから弟は手にしたクワで殴り殺した。そしてロムルスがただ一人の王様となったその日こそが紀元前753年4月21日、今でもローマ市ではこの兄殺しの祭日を祝っている。

 この話を冗談にするのは簡単だが、実はこの話には含まれた意味がある。クワで溝を引いた土地はもちろん農地のことであり、これを侵すものはたとえ肉親であっても裁かれる。すなわち個人の財産は保護されるという宣言と、ローマ人は血縁よりも決め事を大事にするという意志がこのエピソードには秘められているのだ。現代でもこれが守られていない国がどれほどあるかは今更言われるまでもないが、ローマは建国伝説からして国民主権の法治国家だった。そしてその伝説を彼ららしくいかにも陽気に、お伽噺と冗談で飾り立てているのである。

 それを思えばローマの建国が紀元前753年でも745年でもささいなことでしかないだろう。もちろん、弟でなく兄が賭けに勝っていたらローマでなくレーマになっただろうかという疑問はもっとささいなことでしかない。
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