2008年12月17日


噴水(歴史)

 後にインフラストラクチャーの祖と呼ばれ、建築の民とも呼ばれる古代ローマの人々。彼らの建築物には特徴がある、それは実用性を第一にしているということだ。とあるローマ人が曰く、例えばエジプトのピラミッドは見事なものだがあれ自体は何の役にも立たないと言う。そんな彼らが自ら発明したと言われているもの、その一つが噴水だ。
 噴水が何であるかを知らない人はいないだろう。日本という国でも公園や、そうでなくともデパートや遊園地に行けば噴水が吹き上げている姿を見ることができる。あるいはコスト削減の折り、日によっては動いていない噴水が見られるかもしれない。だがこの話を聞いてローマ人であれば首を傾げることだろう。どうしてお前たちの噴水は止まるのだ、と。

 旅行といえば自動車や電車で行うことが多いだろうから、急坂な山に面した道路を歩いたことのある人は意外に少ないかもしれない。道路の脇には側溝があって、山から流れ出る水がけっこう勢いよく流れていることがある。コンクリートで蓋をされた、側溝を流れる水はときどき金属の網がかぶせられている四角い水ために落ちてから、次の側溝へと流れていく。こういう場所にある水は雨水でも雪解け水でもとつぜん量が多くなったりするものだから、ときには金網の上まで水が吹き上げることもある。お分かりだろうか?急坂な側溝を吹き上げる水、これこそ噴水の原理なのだ。

 高いところから流れてくる水はどこかで勢いを止めなければならないのが道理である。それが側溝の水ためであれば水の勢いも量もたいしたものではないだろう。ローマ人は山から町まで数十キロを越える長さの水道橋を何本も建てると、町に流れ込む多量の水を広場に設けた水ために落として、それを高く吹き上げさせたのだ。こうすれば何の労力も動力も使わずして水の勢いを弱めることができるし、酷暑の地中海沿岸で広場を涼やかにしてしかも見た目に美しい。合理的で役に立ってかつ美しいこと、それがローマ人にとっての実用性である。

 水道に水が流れていれば何をせずとも吹き上がる。古代ローマが滅びて後、この噴水にまつわるエピソードを一つ。とある国の王侯は朝、目が覚めるとおもむろにちりんと鈴を鳴らしてから窓に向かう。それを聞いた召使いが屋敷の地下にあるポンプを奴隷たちにこがせると、庭の噴水がいっせいに美しい水を吹き上げて目を楽しませたということだ。
 さてこのエピソードを笑うことができるだろうかと、噴水の止まっている公園を歩くたびにふと考えてしまう。
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