2008年12月19日
元老院(歴史)
元老院というものがどういうものか、名前は聞いたことがあってもあまり知られていないようだ。できの悪いどこぞのゲームで、能無し老人の集団のように扱われているのを見た記憶がないこともないが、たぶん映画「スターウォーズ」あたりの影響なのだろう。
古代ローマに端を発するこの元老院、ラテン語ではセナートゥスと呼ばれており今でもアメリカやフランス、イタリアほか様々な国では上院のことをセナートという名前で呼んでいる。日本でも明治時代、立法機関として元老院がつくられたが有名無実のまますぐに解体されると貴族院になった。上院で貴族院、しかもセナートゥスという言葉自体は直訳すれば長老会議という意味になるので、能無し老人の集団のように思えるのも故のない話ではないのかもしれない。
ところで古代ローマを設立した兄殺しの王様ロムルス、一人で国ができる筈もないから有力者の一団を従えていたのだが、彼らに助言をしてもらうことにしたのが元老院のそもそものはじまりだった。王様が法律を考えて元老院が助言する、後に王様が打倒されて元老院から選ばれる執政官がその代わりをすることになり、実質的な統治機関へと変わっていく。資格年齢は三十歳以上で、当時のローマ人は八十歳九十歳まで平気で生きたから名前で連想するような老人の集まりというほどでもなかった。
その元老院がどんな統治をしていたかを詳しく説明してもしかたがないが、ではどうすれば元老院議員になることができたのか、それにはいくつかの方法があった。ひとつは地域に貢献した地主や有力者が選挙で選ばれる方法、これは想像しやすい。もうひとつは併合した地域の有力者を元老院議員にする方法、アメリカ議会がハワイの族長を本土の上院議員に招くようなもので、なかなかよい方法だが近代国家がこうした寛容さを見せた例はあまり記憶にない。
そしてもうひとつが元老院議員の子が元老院に入る例である。ようするに世襲なのだが、この方法が案外うまくいっていたことには理由がある。元老院議員の子は読み書きができる程度の年齢になると、親に連れられて議会をひたすら傍聴させられる。遊びたい盛りに一日中国会議事堂に詰め込まれて育った、そんな気の毒な子はせめて議員にしてあげてもいいということだろう。しかも議員の子がすべて議員になるでもなく、親戚や使用人もふくめて有望だと思った子が選ばれるとこの栄誉に浴するのだ。たいていはそのとき養子にされるから、必ずしも血のつながりがない跡継ぎだっている。
学校教育のない時代、国を統治する人々を選ぶために実際に市民に貢献した者と、へんぴな地域まで含んだ有力者と、一子相伝の暗殺者もとい政治家修行を受けた子供をローマ人は元老院議員にした。それが能無し老人の集団と思われているローマ元老院の正体である。
学校教育の質や弊害が問われている時代、瑣末な話題を云々する前に投票権を持つ人であればもう少し考えることはあるかもしれない。それこそ能無しでない民衆が政治に参与している国であれば。
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