2009年01月08日
SPQR(歴史)
SPQRという言葉がある。セナートゥス・ポプルス・クエ・ロマーヌスの略語で「元老院議員とローマ市民」という意味だ。これは王様ではなくSPQRがローマの主権者だという宣言で、ローマ全土の建造物や公共物、現代でもローマ市ではマンホールのフタにこの文字が刻まれている。役場の広報部ではSPQRの文字を冠して「SPQRゴミはゴミ箱に」といった呼びかけにも使われているそうだ。
ところでセナートゥスは元老院、市民とは市民権を持つ人々のことを指しているがこれはローマ人全員を指している訳ではない。大雑把に説明すれば先祖代々の元老院議員の家系が貴族であって、人民に寄与できるだけの資産を持つ家系を騎士と呼んでいた。そして市民である貴族と騎士以外の人々は平民と呼ばれている。貴族は地主で騎士は金持ち、あとは平民と思えばほぼ間違いないだろう。現代に例えればアメリカに暮らしているアメリカ国籍を持っていない移民の人たちなんかは平民に近いかもしれない。ようするに貧乏人には市民権がないのである。
さてラテン連盟に降伏したローマで平民たちの暮らしは厳しく、不満ばかりが溜まる中で彼らの権利向上を訴える声が次々と上がるようになった。ローマ市民は私有財産が保護されるし裁判なしで殺されることもなく、いざとなれば控訴権すら持っている。しかも他の国の市民権と二重で持つことすら認められていたから、欲しがる人は多かったのだ。彼らはモンテサクロの聖山に立てこもって兵役や労働拒否のストライキまで実施するようになった。ローマに住む自分たちにも市民権をよこせ、と。
とはいえ市民権には選挙権も含まれているから、投票も手集計も大変なこの時代にあまり無節操に配ることができなかったのも当然だ。そこで元老院は二つの案を考えた。一つは選挙権のない市民権をつくること、もう一つは平民代表の護民官をつくって、この護民官に元老院決議を無効にする拒否権を与えたのだ。元老院に真正面から対抗できる力を、元老院自ら平民に与えたのである。
元老院議員とローマ市民、SPQRは平民と平等な存在ではない。だがポプルスのPに平民の権利が加わっていくことによって少しずつSPQRは拡大されていく。少数派と多数派が平等を放棄する代わりに権利を分け合う制度、それが古代ローマの共和政なのだ。
いつぞや「多数決は民主主義の基本」と言っている日本の政治家がいて耳を疑ったが、多数決さえ制すれば少数意見は無視できる自称民主主義であれば、少数指導制でも貧乏人代表に強権を持たせるSPQRのほうが少なくとも寛容であるかもしれない。
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