2009年01月15日


神々(歴史)

 神様や宗教という話になると、ローマのそれは人が思うものといくぶん異なっている。一つはロムルスやヌマが決めたように、新しい人々を受け入れる際に彼らが連れていた神様もローマは受け入れたというものだ。ハンニバルに攻め込られたときに大地母神キュベレイの加護を得るべし、としてローマ人自ら外国の神様を迎えにいったこともある。
 彼らはこうした新来の神様を歓迎して神々の序列に組み入れた。序列といっても主神はユピテルという程度のものだからさして文句もあがっていない。多くの神話には主神がいたからユピテルと同一人物なのですよとしてしまえば良かったし、国家的な行事を除けば人々がお参りするのは主神ではなくそれぞれの神様だ。このへん合格祈願に菅原道真をご指名する感覚と変わらないだろう。

 ではローマにどのような神々がいたかとなれば、当のローマ人ですらこれをきちんと把握してはいなかった。ユピテルの他には門と扉の神ヤヌスやかまどの火を守るウェスタ女神、愛の女神ウェヌスにロムルスの父である戦いの神マルスなどが有名だが、安全の神セクリタスや自由の女神リベルタスのように、セキュリティやリベラルの語源になった神様もいる。
 おもしろいところでは赤ん坊の夜泣きをしずめるウァティカヌス神や雑草取りの神様スブルンキナトール、貴族と平民の融和を記念したコンコルディアなんて神様もいる。商人と弁護士と泥棒の神様メルクリウスのように、古代ではこの三者が同じ職業だと思われていたというのはビアスの「悪魔の辞典」にもあったろうか。

 ところでもう一つ、ローマの宗教が独特だったのはそれぞれの神様に専門の司祭がいなかったことである。誰もいない祠だけが建っています、といったマイナーな神様はまだしも有名な神様ではそうもいかないから、そんなときは神祇官という専門の公務員が祭りを行う。そしてこの人たち、なんと選挙で選ばれるのだ。
 神様に仕える人を選挙で決めるのか、といえばその通りだと答えるしかない。だが神様のご利益は人に与えられるものであるから、たいせつなのは人がそれに相応しく生きることであって神祇官の功徳は関係ない。戦神マルスは勇敢な人を助けるのであって、神祇官が立派な人物だったら助けるという訳ではないのだろう。世の中には祈れば誰でも助けてくれるという宗教もあるが、ローマの神様は頑張った人にごほうびを与えてくれる神様なのだ。

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