2009年01月23日


ケルト来襲(歴史)

 かのマルクス・フリウス・カミルス。兵士に給料を与えることを思いついた将軍だがその性格は人情派どころかよほど厳しい人で、決して人に好かれてはいなかったし夏でも冬でもおかまいなく兵士をこき使ったから、ついに反対派の市民が集まって彼を追放してしまう。戦争には勝ったしカミルスは追い出して万々歳、だがイタリア半島での小ぜりあいに明け暮れる彼らローマ人に思わぬ敵が登場する。現在のフランスやドイツ周辺に暮らしていた蛮族、ケルト人の来襲だ。

 このケルト人、ローマではガリア人と呼ばれていた民族だが白い肌に金髪、巨体に毛皮を着てウホウホ言っているというそれはそれは恐ろしい連中だ。馬に乗るのが得意で肉ばかり食べて好戦的な彼らは現代の白人の祖先に当たるのだが、なるほどと納得するところもあるかもしれないように思わなくもない。
 その白人の祖先たちが紀元前387年、アルプス山脈を越えるとなだれを打ってイタリア半島に襲いかかった。ローマはもちろんラテン連盟の各都市もまるで抵抗できずに蛮族に蹂躙されるままとなるのだ。伝説では神々の住まうカピトリーノの丘を除いてローマはすべてケルト人に占領されてしまったが、ここで急遽呼び戻されたカミルスが天から降りたか地から沸いたかさっぱり分からぬ軍勢を率いてこれを撃退、金銀財宝を求める蛮人に勇んで叫んだという。

「ローマは鉄で再建する!金は無用だ!」

 伝説である。実際にはカミルスが戻る頃には蛮族はさんざ略奪をすませると北に引き上げてしまっていた。なにしろ彼らは寒い国から来たウホウホ言うような連中だから、あたたかいイタリアの気候に喜んでそこらで身体を洗ったり死体や汚物を放置することはできても、疫病は出るし石畳の町では食べ物も捕れないしでとても暮らしていけなかったのだ。引き上げるケルト人を相手にカミルスは追撃すらしなかったろう。少しでも金を取り戻していれば、金は無用などとは言わない。

 人々はカミルスを歓迎した。カミルスを追い出した罰が下ったのだと考えたローマ人は、彼の剛腕のもとに一致団結して立ち上がる。かつてラテン連盟に屈従した立場から立ち上がっていたローマ人はこの状況でも力強く復興への道を歩んだが、同じようにケルトに蹂躙された近隣諸市はそうはいかない。彼らにはカミルスはいなかったし、ラテン連盟の人々はこんな状況になってもまだ他人と仲良くしなかったから充分な力を取り戻すこともないままやがてローマに屈服していくことになるのだ。
 蛮族がローマを占領しても天からの助けは来なかった。なぜなら結果としては蛮族がラテン諸市からローマを助けてくれたのだから。
>他の戯れ言を聞く