2009年02月06日
シチリア(歴史)
イタリア半島は長靴に似た形をしている。そのかかとから土踏まずのあたりにあるのが海港都市タラントだが、戦争の天才ピュロスの苦闘もむなしく、ピュロスだけがむなしく苦闘した後にローマに併合されてしまう。長靴のつま先にあるカラブリアはすでにローマのものとなっていたが、ここからわずか3キロメートルほどの海峡を挟んで、対岸に浮かんでいる島がシチリアであった。
もともとこの島は素朴な農民と凶暴な羊飼いが闊歩する場所だったが、例の大ギリシアの入植に合わせて大都市シラクサをはじめいくつかのギリシア系諸市に治められていた。彼らは主に島の東側に入植していたが、やがて西側にフェニキア人の国カルタゴが植民するようになる。カルタゴ人もギリシア人同様海洋民族で、しかも商人の集まりだから当然のように仲が悪い。パナソニック工場の向かいにソニーの工場が建つようなもので、かのピュロスがシチリアを転戦したのもカルタゴ人と喧嘩をするためだった。
ところでシラクサにはアガトクレスという人がいて、この人が対カルタゴ用にマメルティーニ団、軍神マルス団という傭兵隊を徴募する。たいそうな名前だが内実はチンピラ集団で、アガトクレスが死ぬと彼らは独立してそこらで乱暴狼藉、ちょうどカラブリア対岸にあるメッシーナという都市を占領してしまった。シラクサの名君ヒエロンはこれを討伐、マメルティーニはカルタゴに助けてもらうが保護過剰に嫌気がさすと今度はローマに使いを送る。
ローマはこの援助要請を受けた。なぜ受けたのか、理由は諸説あってイタリア半島のつま先わずか3キロメートル先が強国カルタゴに支配されることを嫌ったとか、信義を重んじるローマが要請を断れなかったとか言われている。当事のローマ人はカルタゴの断りなしに地中海で商売をしてはいけないという不平等条約を結ばされてはいたが、イタリア半島諸市のように屈服させるにはカルタゴはあまりに巨大な相手だった。
だがおそらく、ローマ人はそんなことを深く考えてはいなかったろう。元老院はシチリア派遣の決定を市民集会に求めていたがこのときは騎士階級、すなわち商人が出兵を後押しした。シチリアは美しく豊かな島で、カルタゴとギリシアが喧嘩しているから一方を味方につければなんとかなるとでも思っていたに違いない。いつの時代でも商人は自称愛国者の集まりだし、黄金郷は愛国心をいたくそそるのだ。
いずれにせよこの事件を契機としてローマはポエニ戦争と呼ばれる、100年以上に及ぶ戦いに巻き込まれていくことになる。いや、巻き込まれたのではなく好き好んで参加したのだ。まことに愛国心は讃うべきであろう。
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