2009年02月10日


ポエニ前夜(歴史)

 ところでローマが帝国に変わった頃、紀元前後をはさんだ当時の歴史家にティトゥス・リヴィウスという人がいた。このリヴィウス、皇帝アウグストゥスの求めに応じて「ローマ建国史」を書いたのだが共和政ローマの徳を称揚しているせいか、その著作もどこか道徳くさい。共和政を讃える歴史書を皇帝が書かせるのか、と考えるのは現代の政治思想に毒された人の固定観念で、道徳心を賞賛するアウグストゥスであれば道徳くさい本は大好きだったろう。そのリヴィウスが賞賛する、当時から200〜300年くらい前のローマ人とはどのような人々であったのか。

 ローマ人の名前は三つある。個人名と氏族名と家族名で、個人名は名前で家族名は苗字、氏族名というのは自分が属する一門の名前だ。かのジュリアス・シーザーの本名はガイウス・ユリウス・カエサルでありユリウス一門のカエサル家に生まれたガイウスさんということになる。女性は氏族名で呼ばれたからユリウス一門の女性はすべてユリア、クラウディウス一門の女性は全員クラウディアである。
 たいへんな差別に思えるが、男の名前も種類は少ないし父と長男に同じ名前を平気でつけていたから、男女変わらず同姓同名が多かった。例えばアッピウス・クラウディウスはローマ史にくさるほど登場するし、ハンニバルを破るスキピオとカルタゴを滅ぼしたスキピオはどちらもプブリウス・コルネリウス・スキピオなので前者はアフリカヌス、後者はエミリアヌスと尊称をつけて呼ばれたものだ。こうした尊称がつくことは名誉であり、ビンチ村代表のレオナルドさんのようにルネサンス以降もこの風習は残っている。

 なぜこんな名前をつけるのか、それは彼らの家族主義の強さに起因する。家はラテン語でドムスというがこれには陣営といった意味も含まれて率いるのは主人、ドミヌスである。主婦はドミナといって奴隷も含めた家を取り仕切るが、奴隷といっても家族的であまり非人道的でははい。ギリシア人のアリストテレスは奴隷も家畜も同じと言ったが、ローマの奴隷は使用人だったり秘書だったりする家族の一員だ。家父長権が強いローマでは主人が家人の生殺与奪の権利を持っていたが、ドムスの主は意味もなく部下を懲罰したりはしない。
 子供の教育は父が行い、読み書きに算術、そしてローマの歴史を教える。歴史といっても昔語りや建国の英雄譚ばかりで、裕福な家が子供を留学させたり家庭教師を雇うようになるのはポエニ戦争以降である。古くは家族も奴隷も家畜も同じ家に暮らし、朝になれば連れだって畑を耕しに行く。16歳になれば兵役が始まるが、家庭がそうであったように軍団でも規律が重んじられ、父に従うと同様に百人隊長や軍団長に従う。自分がドムスの一員であるという自覚がローマ人に求められる意識であった。

 こうしたローマ人の生活や教育は心の正しさよりも規律の正しさを生み出す。実にかたくるしく、稚拙な娯楽しか知らないが忍耐や服従、沈着冷静といったかたくるしい徳には恵まれていた。彼らはドムスの一員であると同時に、男も女も一門の代表なのである。だから家門を名乗る。
 こんな彼らだからこそ信義と名誉をことのほか重んじた。法律や軍規や条約でも、契約や遺言どころか口約束であってもローマ人はこれを名誉にかけて尊重したのだ。宣誓するという行為を彼らほど大事にした人々は少なく、だからこそローマ人は裏切りを頑なに嫌う。敗戦国を迎え入れるにはあれほど寛容な彼らが、同盟を破れば平然とこれを壊滅させて住民を売り払うのだ。

 後にギリシアの風潮が入り込む以前、リヴィウスの称揚する道徳的なローマ人とはこのような人々であった。だがポエニ戦争という未曾有の国難に対峙する中で、彼らの道徳心は疑いなくローマを支える柱の一本となる。
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