2009年02月19日


船のカラス(歴史)

 紀元前264年、第一次ポエニ戦争がはじまった。メッシーナの援助要請を受けたローマは執政官アッピウス・クラウディウス率いる軍勢が渡航、もちろん十二表法のアッピウスとも、アッピア街道をつくったアッピウスとも別人だ。
 シチリアへの第一歩を踏み入れたローマに、カルタゴは年来の敵シラクサやアグリジェントと手を組んで対抗する。両者の仲違いを期待していたローマの目論見は外れるが、幾度かの小競り合いを経てシラクサの王ヒエロンを離反させると同盟を結ぶことに成功、アグリジェントも陥落させるが内実ではカルタゴの海上補給を押さえられずに苦戦するばかりであった。

 ところがローマに船はない。それは言いすぎだが軍船なんて代物はなかったから、海洋民族ギリシア人の同盟国に頼んで船の建造と船乗りの訓練を依頼する。急造艦隊をこしらえると勇躍して進水、地中海に勇名を馳せるカルタゴ無敵艦隊に戦いを挑んだ。よたよたと進むローマ船団に百戦錬磨のカルタゴ海軍は笑いが止まらない。ローマ兵は海上にもかかわらず鎧を着て船に乗り、急造船には珍妙な板切れが取り付けてあるのだ。海を知らないにもほどがあろう。
 無様な海軍は衝突せんばかりの勢いで接近する。練達したカルタゴの船乗りとはいえ、ぶつけようとしてくる相手を避けるのはかんたんではない。接近したローマ船から板切れが一斉に落とされると、その先には鉄のかぎがついていてカルタゴ船の甲板に突き立ち巨大な橋になってしまった。海戦に自信のないローマ人が考えた新兵器「カラス」を伝って、完全武装のローマ軍団兵が雪崩れ込む。

 このミレ沖海戦ではローマが完勝。海上不敗を信じていたカルタゴ人に衝撃を与え、初めて海に乗り出すローマ人には自信を与えた。だがこの戦いの結果は精神的なもの以上に大きな意味を持っている。シチリア制圧に大きな意味を持つ海戦において、カルタゴ船はローマ相手の接近戦で勝てなくなってしまったのだ。後に繰り返される数度の海戦でも、地形を利しての包囲に成功したドレパナの海戦を除けばカルタゴは勝利のことごとくをローマに譲っている。ローマ海軍が壊滅的な存在を受けたのは二度に及ぶ海難事故だけでその他の海戦では常にローマが勝ってしまった。

 ところで古来より無敵艦隊とか難攻不落の要塞といったものは負けると相場が決まっているが、後にこの伝統はスペイン無敵艦隊が受け継いだようだ。
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