2009年02月26日


ハンニバル(歴史)

 雷将ハンニバル。第二次ポエニ戦争をハンニバル戦争とまで呼ばせた人物であり、地中海最強のローマ軍団をただ一人で圧倒した人物である。
 父ハミルカルは第一次ポエニ戦争終結後、イベリア半島を制圧して新カルタゴを意味するカルタヘーナの町を建設していた。「新しい新しい都」という意味には首を傾げなくもないが、ハミルカルは息子たちをバアル神殿に連れてローマへの復讐を誓わせたと言われている。ハミルカルの死後、後を継いだ娘婿のハスドルバルが暗殺されるとハンニバルが後継者に指名された。若干26歳だが戦場経験は18年に及び、幼い頃に父と立てた誓いを決して忘れない。

 イベリア半島にサグントという都市がある。ローマの同盟市だがポエニ戦役後の条約ではこの近辺にカルタゴが兵を出すことまでは禁じられていなかった。ハンニバルがそのサグントを囲うと当然ローマは抗議するが、金銀を産する半島の権益を欲したカルタゴ政府は条約を盾に言を左右にする。同盟市を守るためにローマは宣戦布告するが、ハンニバル以外の誰もがその意味を深く考えてはいなかった。
 不戦条約はローマからの宣戦で消えた、ならばハンニバルがどこに兵を出そうと自由である。すかさずサグントを陥落させた雷将は59,000人の大軍を連れて進発、ローマは執政官スキピオをスペインに送り込むが現地についてみるとハンニバルの姿がどこにもない。ピレネー山脈からフランスを越えてローヌ川を渡ったというカルタゴ軍の進路を知ってスキピオは愕然とする。ハンニバルはスペインからフランスを渡りアルプス山脈を越えて、あろうことか陸地伝いに北からローマに攻め入ろうというのだ。

 雪に覆われたアルプスの難行軍にハンニバルは軍勢を半減させていたが周囲のガリア人を懐柔してすぐに戦力を増強、広大なイタリアの平原を指して「あれがお前たちのものになる」と叱咤する。事の重大さを悟ったスキピオは即時帰還すると軍勢を率いて出陣、ティチーノ川周辺で激突するがハンニバル率いるヌミディア騎兵に完敗、司令官自身も負傷する。更にスキピオの同僚執政官センプローニウスがトレビアに布陣するが、騎兵の機動力を活かした包囲殲滅戦に完膚なきまでに敗退した。
 連戦連勝に勢いづいたハンニバルは反ローマに立ち上がったガリア人を味方につけるとなおも進撃、新たな軍勢を徴発した新執政官フラミニウスをトラジメーノ湖畔に襲撃して、湖に追い込む三方からの包囲戦で壊滅させると急ぎ駆けつけた執政官セルヴィリウスも各個撃破して両執政官は戦死する。

 アレクサンダーとピュロスに学んだというハンニバルの戦術はそれまで主流であったギリシアのファランクスやローマの三列横隊重装歩兵による中央突破に対して、両脇からこれを囲う包囲戦を得意とした。更に最も損害が大きくなる中央部にガリア人を配することで、主力である騎兵を温存して連戦を可能にする。「ピュロスの勝利」にまで学んだのであろう、冷徹な戦いぶりは後に彼自身の弟子が戦場に現れるまでハンニバルの独壇場であった。
 戦場に立って連戦連勝、地勢にも情報にも優れるハンニバルだが一つだけ誤算があったのはガリア人のようにローマ諸都市が離反、崩壊しなかったことにある。敗戦の報に接した元老院は広場に集まる市民に毅然として真実を伝えた。

「我々は完敗を喫した。戦局は重大な危機にある」

 非常事態宣言を発令したローマは老若男女を問わず立ち上がり、貴族や商人は全財産を国庫に供与して市民は軍役に駆けつけた。その事情は連合や同盟諸市でも同様であり「分割して統治せよ」が機能していた結果だが、誰よりもローマ人自身がローマとその友邦を守るために、地位の高い貴族や市民ほど望んで戦場に馳せ参じる。
 この時期のローマ人には政局も関係なく煽動も必要なかった。民主的ではないローマが階級の対立もなく、未曾有の国難に団結して立ち向かったのである。
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