2009年03月13日


帝国主義(歴史)

 辞書を引けば帝国とは皇帝が統治する国家を指しているそうだが、これは日本語または漢字でいう帝国の意味でしかない。西洋にはずっと昔から王様が治めるアッシリア帝国やペルシア帝国が存在していたし、ローマは共和政の時代にすでに帝国と呼ばれていた。ローマの主権者はSPQRだから、元老院とローマ市民が統治してもローマは帝国なのである。

 本来、帝国というのは多くの民族や国を包含して統治する体制のことを指していて、属州や属国を抱える中央政府がある国を指して帝国と呼ぶ。エトルリア諸市を併合してナポリやタラントを屈服させ、シチリアやサルディーニャを属州にしてヌミディアやエジプトと同盟関係を結び、カルタゴやギリシアを属国にする。ローマ人は彼らの国を指して共和国と呼んだし帝国とも呼んだ。それぞれ英語でリパブリックとエンパイアの語源になる。
 イタリア半島を統一して地中海に乗り出し、大国カルタゴや大ギリシアを相手どった共和政ローマだが、少なくとも彼らは自分たちを侵略者だと思っていた訳ではない。近隣諸国が紛争の調停をローマに頼んだ例や、第二次ポエニ戦争のように同盟者を守るために宣戦した例がほとんどだ。ガリア蛮族のように略奪を繰り返す遊牧民を追い払うために攻め込んだ例もあるが、この場合もローマ人は防衛のための戦争だと思っていたことだろう。

 分割して統治せよ、の言葉のとおりローマは同盟国の自治を尊重したし、併合した相手に市民権を与えることもあれば総督に治めさせることもあった。ローマが支配する地域には街道や水道が整備され、通貨が流通し、治安は安定して山賊や海賊は姿を潜めるようになる。帝国である共和政ローマが人々にもたらしたものは平和であり、平和のために戦うことは彼らにとって矛盾を意味しない。後に皇帝アウグストゥスはこれを指して「ローマの平和」と呼んだ。
 これに抵抗した者の言葉がいくつか残されている。オリエントの王ミトリダテスはローマの貪欲と帝国主義を口を極めて非難したし、ガリアの部族長ヴェルチンゲトリクスは同胞に向けてガリア人の自由と独立のために剣を取れと呼びかけている。帝国とそれに抗する者との戦いというのは、平和に対する自由の戦いなのだ。

 帝国というのは悪の国家ではなく、自由を犠牲にして平和を押し付ける国家のことである。とはいえ時は流れて現代、帝国に例えられるどこぞの大国が声高に自由を叫んでいる様子を見るに、いささか皮肉な感慨を覚えなくもない。
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