2009年03月17日


自由の国(歴史)

 ギリシアからローマに連行される船の中にポリビオスという知識人がいた。彼は著書「歴史」にわずか53年で世界を征服したローマとはどんな国だろうかと述懐するが、もちろん自分たち以外をすべて蛮人と呼んだギリシア人だから世界というのもギリシアを指している。ではこう問うこともできるだろう、わずか53年でローマに征服されたギリシアとはいったいどんな国だったのか。

 第二次ポエニ戦争も終わりが近づいていた頃、ギリシア諸市は隣国マケドニアから自分たちを解放して欲しいとローマに使節を送る。ローマ人が法律を学びにギリシアを訪れたのも今は昔、アテネもスパルタもとっくに衰退して辺境の都市国家になっていた。マケドニアはアレクサンダーの生国で大王の遺産を受け継ぐ国のひとつだが、王フィリッポスがハンニバルに共闘を申し出た前科もあったから元老院は執政官フラミニウスに軍勢を派遣させる。
 マケドニア軍はギリシア伝統の密集陣形ファランクスで攻め立てるが、ハンニバルに比べればフィリッポスなど恐れることもない。戦いはフラミニウスが圧勝、敵の死者8000名に対して味方の犠牲はその10分の1にも満たなかったという。コリントで行われた祝いの競技会でフラミニウスは布告を発してギリシアの解放を宣言、各都市の自治権を認めてもちろん税金も年貢も不要、軍団はすみやかに本国に撤収すると告げた。信頼できる史料によれば、このとき喜びのあまり歓声が空を突くと落ちてきたカラスが折り重なって死んだそうだ。

 フラミニウスは約束どおり軍団を帰国させるが、ギリシア文化に心酔する彼がギリシア人の性格は理解していなかった。何しろギリシア人とは自由のためなら不自由でもいいというとても哲学的な人たちだったから、今度は東方シリアの王アンティオコスに自分たちをローマから解放してくれと使節を送る。フラミニウスがやった以上にどうやって解放すればいいのかさっぱり分からないが、スキピオ・アフリカヌスが遠征してシリアを打ち破るとギリシアもこれでおとなしくなったかに見えた。
 ところがマケドニアでフィリッポスが死ぬと王の息子ペルセウスが反乱、ローマはカンネの敗将の子エミリウス・パウルスを送るが緒戦を落としてしまう。とたんに自由の民ギリシア人はこれを機にローマから解放されようと総決起した。もともとマケドニアから解放されたがっていたことはたぶん忘れていたのだろう。

 とはいえ当時のローマ軍団は他国から戦闘機械と呼ばれるような連中だ。ひとたび反撃に出れば所詮マケドニア軍など敵ではなくペルセウスは捕らえられてマケドニアは滅亡、ついでにギリシアも分割されてローマの属州にされてしまう。ポリビオスがローマに送られたのもこのときで、とうとうギリシアの自由と独立は失われてしまったのである。
 こりないギリシアは後に第三次ポエニ戦争の際にもローマの背後をつこうとしたから、激怒したローマは見せしめにコリントを壊滅させると住民をすべて奴隷に売ってしまった。よりにもよってフラミニウスが解放宣言をしたあの町だ。こんなギリシアがわずか53年で征服された理由があるとすれば単なる自業自得だろうが、ところでフィリッポスがローマに敗れたときに漏らした述懐が残っている。

「自由の国ローマでは奴隷すら市民にする。立派な兵士や将軍が昨日までは奴隷だった、こんな連中にいったい誰が勝てるんだ」
>他の戯れ言を聞く