2009年04月08日


銀の鷲旗(歴史)

 グラックス兄弟の死は大小様々な問題をローマに残したが、そのひとつにヌミディア問題があった。第二次ポエニ戦争以来、スキピオ家はヌミディアの後援者となりそれはグラックス兄弟へと受け継がれていたが兄弟の死がそれを途絶させる。
 当時、ヌミディア王ミチプサが死ぬと王の二人の息子と妾の子ユグルタの間に争いが起こった。ローマは調停を求められるがこういうときに乗り出すべき後援者がいなかったから、とりあえず生き残っていたユグルタとアドヘルバルの二人にヌミディアを分割統治させる。だがユグルタは軍を出して義弟を殺害するとアドヘルバルを助けたローマ市民まで殺してしまい、怒った元老院はユグルタに宣戦を布告した。時に紀元前112年、いわゆるユグルタ戦争である。

 ところがヌミディアに送り込んだ将軍はたっぷり賄賂を受け取るとユグルタに丸め込まれてしまった。元老院は新しい将軍として名門貴族のメテルスを任命、だが廉潔高貴なメテルスは残念ながら優れた将軍ではなかったから、ゲリラ戦を駆使するユグルタに悪戦苦闘して戦争はいっこうに終わる様子がない。そこに名乗りを上げたのがメテルスの副将ガイウス・マリウスだった。
 マリウスは貴族でも騎士でもないたたき上げの平民だった。そのマリウスに自分が執政官になって戦争を率いるから一時除隊の許可が欲しいと言われてメテルスも気分のいい筈がなく、隊長ならまだしも執政官とは図々しいと嘲笑する。連戦連敗の貴族階級に辟易していた平民集会はマリウスを推すとメテルスに替えてアフリカ戦線への派遣を決定、元老院もお手並み拝見という感でこれを静観した。

 執政官マリウスは弱体化したローマ軍団の改革を断行、貴族と金持ちの兵では敵に勝てないと志願者を徴募して武器を取らせた。ようするに徴兵制を志願制に変えたのだがこれが思わぬ効果を生む。グラックス以来の福祉政策を享受していた貧乏人や無産市民が、自分たちの権利を放棄してまで軍団に「就職」する道を選んだのだ。金や食い物を恵んでもらうよりも一人前の市民になりたいと、それまで出身階級別に分けられていた五種類の軍団旗も銀の鷲旗へと統一された。これ以降ローマ軍団の象徴は鷲になる。
 この民衆軍を率いて自ら徒歩で進軍、兵士と同じ食事をして地面に眠るマリウスはユグルタが守る砦を次々に陥落させていくが、戦争が早期に終結したのは副官スラの功績だったろう。隣国マウリタニアの王ボックスを懐柔するとユグルタを姦計で捕えることに成功したのだ。

 凱旋したマリウスはローマでは異例の執政官連続就任を認められるが、その事情は北からゲルマン人が来襲していたせいもある。その数30万、ガリア人と同様に白い肌に赤毛や金髪、巨体に毛皮を着てウホウホ言う人々で、すでに元老院の送り出した軍団が五回も返り討ちにあっていた。なんとかしてくれというのが平民どころか元老院もマリウスに託した思いだろう。
 新軍制の下、子飼いの軍団を率いたマリウスは陣営地を築いて待つが蛮族はずらずらと馬車や荷物を仕立てて呑気に歩いている。どうやら陣営地というものを知らない彼らはローマ人が怖がって隠れていると思ったらしく、ローマについたらお前たちの女房に言付けしてやろうと笑っていた。マリウスは蛮族が全員通り過ぎるのを待って後ろから襲撃、かんたんに壊滅させてしまう。返す刀でアルプス越えを図る別のゲルマン人に向かうが、こちらの蛮族も雪にはしゃぎながらソリ遊びをしていたので戦闘というより屠殺に終わった。

 こうしてローマに帰還、弱体化した軍団を再生して平和を取り戻したマリウスはロムルスやカミルスに継ぐ「第三の人」とまで呼ばれる。得意絶頂のマリウスだがローマの病巣が実は何一つ解決されていなかったことをすぐに思い知らされることになる。
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