2009年04月10日
元老院最終勧告(歴史)
プルタルコス曰く、戦場では有能な男であったマリウスはヌミディアに続いてゲルマンを蹴散らすとローマで盛大な凱旋式を挙行、平民は熱狂して彼らの英雄を祭り上げる。そのマリウスが行っていた軍制改革はグラックス兄弟が実現できなかった貧乏人や無産市民を救済する活気的なアイデアだったが、残念なことにローマの病根を癒す抜本的な解決策ではなかった。戦争は終わった、平和が戻った。つまり軍団を解散すれば兵士たちは失業者に戻ってしまうのだ。
だが戦場の人マリウスにはこれをどうしたらいいかさっぱり分からない。何年も自分について戦った部下たちをなんとか世話してあげたかったが、演説で「私に教養はないが男が仕事をするには誠実さで充分である」と言っていた彼の誠実さはこんなとき何の役にも立たなかった。
元老院の貴族階級がマリウスを嫌っているのは今更だし、マリウスの兵士もその多くが平民だから平民代表の護民官と協力するしかない。この流れはローマに元老院派と平民派という「二大政党」を生み出した。それはそれで悪いことではなかったが、問題は野党代表というべき護民官サトゥルニヌスが野党代表らしく単なるデマゴーグだったことと、党派抗争に巻き込まれたマリウスが政治をまるで知らなかったことである。
たぶんサトゥルニヌスは自分をガイウス・グラックスの後継者と思っていたろうが、彼の政策はそのガイウスを失脚させた護民官ドルーススとそっくりだった。ようするに財源もなく小麦をタダにしたり土地を無償で配ろうとしたのだ。結局、金や食い物を恵んでもらうよりも軍団に就職することを望んだ、兵士たちの気持ちをサトゥルニヌスもマリウスも理解していなかったのだろう。
元老院は反発する。これに対して強硬路線で行くと決めた、というよりいつでも強硬路線のサトゥルニヌスは平民集会の決定に元老院議員は従うことを宣誓するという新しい法律を制定した。平民集会の決定がそのまま法律化されることはかのホルテンシウス法でずっと昔に決まっていたから、わざわざ宣誓しなさいというのは挑発以外のなにものでもない。法律は法律だとしてマリウスが範を示して宣誓、議員たちも渋々従うがもはや両者の関係は修復不可能だ。
我が世の春を謳歌するサトゥルニヌスは翌紀元前99年の護民官選挙にも立候補するが、調子に乗って対立候補を暗殺したことが元老院に口実を与えてしまった。これ以上の国政の混乱は許されないとして「秩序維持のための元老院最終勧告」が発動される。時の執政官、すなわちマリウスに事態解決の全権が委ねられるが、ガイウス・グラックスの前例に従うならサトゥルニヌスとその支持者を皆殺しにしなければならない。
前例に従えばマリウスは裏切り者になり、従わなければ反逆者になる。裁判もなくローマ市民を殺害することが違法であることや、それをついて調停に乗り出すような政治能力はマリウスには備わっていない。悩んだ挙げ句だろうが、裏切り者になる道を選んだマリウスはサトゥルニヌスの一派を捕らえると彼らが虐殺される様を静観する。だがすべてが終わると平民からも貴族からも白い目で見られるようになっていたマリウスは失意のまま国外への亡命を選ぶしかなかった。
サトゥルニヌスを処断する方法は他にいくらでもあったろう。紀元前121年にガイウス・グラックスに宣言された元老院最終勧告はその後紀元前49年までの間に計四回発動されることになるが、わずか70年ほどの間に四度も国家の危機が訪れたのであれば、その国はすでに常態とは呼べないのだ。
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