2009年04月21日
首都制圧(歴史)
首都ローマを制圧したスラはミトリダテスを討伐すべく出立するが、後任の執政官に元老院派のオクタヴィウスと平民派のキンナを擁立していた。スラにしてみれば護民官が国を混乱させたのだから執政官にそれを正させようと考えたのかもしれないが、当時のローマは政体ではなく政局で動く国だった。
軍勢を率いたスラが出立するやキンナはマリウスの名誉回復を訴えてオクタヴィウスと対立する。拒否権を発動するオクタヴィウスだが情勢を知ったマリウスがアフリカから傭兵軍団を率いて帰還、キンナと合流して首都になだれ込むと再びローマは軍靴に踏みにじられた。
スラに続くマリウスの首都制圧だが、政治家としての教養が致命的に欠けるマリウスにとって政治的な意図が存在する筈もない。単なる復讐の犠牲になったのはマリウスを追放した人々と、マリウスが追放されるのを黙認した人々である。執政官オクタヴィウスはもちろん、マリウスの同僚や親戚まで含めた高位高官1000名以上が追放を止めなかったという理由で殺された。
誰も彼も殺されて演壇から生首がこぼれ落ちたところで、マリウスとキンナの二人が翌紀元前86年の執政官に就任するが老齢のマリウスはまもなく世を去ってしまう。一人残ったキンナはローマの新しい支配者としてローマの再建に取り組んだ。マリウスの同僚として、秩序の再復者としての大義名分が白々しくキンナを支えたが、生首が転がるローマよりは白々しいローマのほうが幾分マシということだろう。
執政官キンナは先のユリウス市民権法でイタリア人たちが、それでも段階的に享受していた権利をすべて平等になるように改革する。同様に解放奴隷の投票権を拡大したり、貧困に苦しむ市民を救済すべく借金の大幅な棒引きを実現した。ところがキンナの政策には財源が示されていなかったので、国庫から補填があった訳でもないし公共事業はほとんど中止されて金持ちたちは苦境に陥ることになる。実に平民派らしい政策によってローマは平和と不況、そして怨恨の三つを手に入れる。
ともあれ元老院の決議によってスラは国賊とされると資産は没収、妻子は逃げ延びて助かったが再び司令官の地位を奪われたスラの軍勢はローマ正規軍の地位すら失ってしまった。だが相手はルキウス・コルネリウス・スラ、後に自らの墓碑銘に
「スラに悩まされた味方はいなかった。スラを悩ませた敵もいなかった」
とまで書かせた人物である。
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