2009年04月24日


幸運な者(歴史)

 護民官と平民集会によって司令官の地位を奪われ、今度は執政官と元老院によって司令官の地位を奪われたルキウス・コルネリウス・スラ。だが貧乏貴族の彼にとって、味方はもともと平民でも貴族でもなく無頼の輩と軍団兵である。何よりミトリダテスの進攻とギリシアの反乱はもはや放置を許されない事態となっていた。

 スキピオやフラミニウスが聞いたら卒倒するだろうし、カトーが聞いたら手をたたいて喜んだろうが、海を渡ったスラはギリシア各地の神殿から軍資金を巻き上げるとギリシアの象徴アテネに攻め込んだ。神様の財宝に手をつけることには気が引ける者もいたらしく、神殿から聞こえるリュートの音が恐れおおくなりましたという部下もいたが、スラは平然としてそれは財宝をくれるというお告げだから喜んで回収しなさいと言ってのける。アテネを攻める際にもギリシアの伝統を主張して停戦交渉に訪れた使節がいたが、君の講義は学生相手にやりたまえと聞く耳を持たなかった。容赦のない攻撃にアテネは陥落、流れた血があふれて川になったとは信頼できる史料による。
 こうしてギリシアを押さえ込んだスラは3万の兵を率いて北上、指揮官アルケラオスが率いるポントス軍12万を迎え撃つ。敵は味方の四倍もいるが金でチンピラを集めるポントスに対して、スラの兵士は同盟者戦役を生き抜いた戦闘機械の集団だ。カイロネアの平原で行われた戦いはポントスの犠牲者10万に対して味方の犠牲が12人というスラの完勝に終わる。

 スラは続けて挑戦してきたアルケラオスの軍勢8万も蹴散らすが、首都ローマではキンナが同僚執政官フラックスに与えた「正規軍」を送り出してこちらもミトリダテスに勝利を収めていた。追い詰められたミトリダテスはスラに講和を打診すると紀元前84年、ダーダネルスの和約が結ばれて第一次ミトリダテス戦争は終結する。賠償に船と海軍を受け取ったスラは地中海を自由に往来してポントスにもギリシアにも、そしてローマにも進軍できることになった。
 その頃フラックスは部下の軍団長フィンブロスと意見が合わずに殺されていた。司令官を失った彼らにかつてマウリタニア王を懐柔したスラが接近すると丸め込まれた兵士はこぞって離反、軍勢を根こそぎ奪われたフィンブロスも自殺してしまう。こうしてギリシアを鎮定、ポントスを討伐、ローマ正規軍を吸収したスラはいったんアテネに戻ると各地の再建にかかる。更に元老院に宛てて反乱の鎮定を報告、これだけの功績を上げた自分が国賊とされているのは不思議でならないと書いた手紙を送る。ローマに帰れば司令官は軍団を解散しないといけないが、そういえば自分は司令官ではなくなってしまったね、と。

 部下を集めたスラはローマ進軍の意思を語ると、相手は強大だが自分は幸運だからなんとかなるだろうと告げる。ルキウス・コルネリウス・スラ・フェリックス。幸運な者、運命と神々に寵愛された者という実に控えめな異名を名乗ることにしたスラは、不幸な人々を制圧すべく軍勢を西に向けることを宣言する。
>他の戯れ言を聞く