2009年05月11日
ギリシア・ローマ哲学(歴史)
かつて興隆を誇ったギリシアは衰退してとうに滅びていたが、滅びたのは国としてのギリシアであってギリシア人もギリシア文化も地中海全域に広がっている。ギリシア人が起こした町、ギリシアの神々が祀られる町、ギリシア語やギリシアの通貨を扱う町は地中海のどこにでもあった。町はローマの一部となりギリシア人はギリシア系ローマ人となる。アレクサンダー大王が有名な東征を行ってから、ローマに融合されるまでのこのギリシアを指してヘレニズムと称する。
そのヘレニズムを代表する哲学だが、これにはいくつかの学派があった。プラトンのアカデメイア学派やアリストテレスの逍遙学派はより学問的で、ルネサンス以降の人文主義者の手で息を吹き返すことになるがローマに広く伝えられたのはストア派とエピクロス派の両者である。
ストア派は哲学者ゼノンがアテネの柱廊(ストア)で教えていたのでそう呼ばれている。ストイックの語源で徳と平静さを重んじていたが、徳というのは善い生き方を実践することである。徳を実践しながら感情的にならず平静(アパテイア)を目指すことによって、恐怖や不安を克服し現実を受け止めて行動しなさいという哲学だ。善い生き方を尽くした上で、避けられない死であれば平静に迎えるのがストア派に望まれる最期といわれている。
この思想は現実主義で公共奉仕の精神が強いローマ人にことのほか歓迎された。彼らはローマを国家でなく共同体(レス・プブリカ)と呼んでこれに尽くすこと、家族や友人を守ることこそ最高の名誉だと考えている。そんな彼らにとってストア派の精神は理想的に映ったのだ。小カトーや賢人セネカ、哲人皇帝マルクス・アウレリウスなど指導的な立場の人にもストア哲学の信奉者は多い。
一方でエピクロス派とはエピキュリアン、快楽主義者の語源でありあまり良い印象は持たれていない。古代のローマでも「欲望の奴隷」とか「獣」とかさんざ呼ばれていたが、これはどちらかといえば曲解された俗説や誇張された風刺である。欲望にまみれた獣が好きな学者であれば、こうした史料を信じたくなるかもしれない。
哲学者エピクロスが求めた快楽とは自然で必要な欲求を満たす幸福であるとして、友情や健康を楽しむことだとしている。豪華で贅沢な生活や、名声や権力への欲求は快楽とはいえず、一時的な欲求に溺れずに平静(アタラクシア)な生活を追求することが善であると定めている。
エピクロス派は快楽の追及を都合よく、あるいは気持ちよく解釈した人々によって広められたから自分を良識的だと信じる人々の眉をひそめさせたが、実際には善い生き方の実践を求めたストア派に対して善い生活を求めなさいという思想である。とはいえエピクロス派の思想は公共奉仕の精神には欠けているから、クルスス・ホノルムを重視したローマの公人には受け入れづらかったのも確かだろう。
だが現実的なローマ人にとって、これらは大した問題にはならなかった。彼らは公的な時間をストイックに、私的な時間をエピキュリアンとして過ごすことを思いついたのである。公共奉仕の精神に従って働きながらも、午睡の時間を過ぎれば友人と文化的な生活を楽しむ。元老院では政敵でも、趣味のラテン文学では友人同士といったカエサルとキケローのような関係がこの頃から見られるようになっていく。
後世の学者や道徳業者は快楽のローマを糾弾する一方で小カトーやセネカ、マルクス・アウレリウスをことのほか高く評価するが、無知なる者が到達できぬ理想を賞賛し、理解できぬ存在に嫌悪と憧憬を示すこともまた古来からの歴史である。
>他の戯れ言を聞く