2009年05月27日


属州総督(歴史)

 分裂するローマの統合を試みた、スラの改革はわずか10年で瓦解する。国政の主導権を取り戻した元老院は我が世の春を謳歌すべく、形骸化した体制を利用して蓄財に励むことになるがその手段となるのが属州総督の地位だった。

 一年任期の執政官または法務官を経験した議員が、その翌年属州に赴任してこれを統治するのが総督職である。属州が増えるごとに増員されて当時は10名、執政官経験者2人と法務官経験者8人が就任していた。通常は一年任期でそれを終えれば首都ローマに戻るのだが、総督は行政の長であるだけではなく現地軍団の司令官でもあったからその権限は強力だ。中には癒着や横領といった問題を起こす総督も存在したがこうした横暴を戒めるために、任期を終えたら属州民にはこれを訴える権利が認められていた。現職中に訴えることができないのは、もちろん政治や行政の停滞を避けるためである。
 ところがこうした裁判の陪審員は元老院議員が独占していたから、任期を終えた総督が元老院に戻り、それを属州民が訴えても敗訴に終わる例が目立つようになる。官職は無給で公共への奉仕こそ名誉というのが昔からの伝統だが属州総督になってひとやま当てることがキャリアの到達点になってしまったのだ。

 政治家が金を稼ぐことは悪くない。政治には金が必要だし、金を持っていない人が政治をしてはいかんというなら金持ちに国を治めていただくしかなくなってしまう。だが執政官や法務官になるための選挙や属州総督の赴任先を決める元老院の決議、そして告発された際の陪審員への説得、これらに膨大な資金を使うようになった元老院議員が属州総督の一年間でそれを取り戻そうとしたことが彼らのモラルを失わせた。
 公然と票の売買が行われるようになるが、なにもこうした不正は政治家の独占だった訳ではない。元老院や裁判を左右するのは議員だが、選挙を左右するのは市民である。執政官選挙や法務官選挙のたびに催される見世物や贈り物の数々を人々は喜び、批判の声を上げる者はいなかった。派手な戦車競技や剣闘士競技のスポンサーに市民は票を投じた。

 この状態はローマに新しい風潮を生み出す。属州総督としてたっぷり金を稼いで帰国する議員たちの存在、貧富の格差による問題がかつては裕福な市民と貧乏な市民の間に見られていたのが、裕福な元老院議員と貧乏な元老院議員の間にも見られるようになったことだ。
 スラが統合を試みたローマは分裂して、元老院派と平民派が対立する構造的な欠陥は修復されていない。裕福な議員は民衆に金品や娯楽を提供し、窮乏した議員は減税や借金の免除こそが改革だと叫ぶようになって演壇にはアジテーターとデマゴーグが横行する。保守にも革新にも興味がなくなった民衆は政治にも軍事にも手っ取り早く活躍してくれた人に支持を集めるようになる。投票権を持つ市民や兵士が優秀な個人を崇拝する兆候が現れる。

 こうして英雄が登場する土台がローマに築かれた。かつてファビウス・マクシムスが「ローマは英雄を必要としない国だ」としてスキピオ・アフリカヌスを諭したのは遠い昔の話となっている。
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