2009年06月15日


ユダヤ(歴史)

 ポンペイウスによるエルサレムの陥落がローマとユダヤが公式に接触した最初の機会になる、と書けば大仰に過ぎるだろう。その以前からユダヤ商人は地中海各所に進出していたし、何より宗教においてはユダヤの存在は重要であっても、歴史において彼らは辺境の自治国家の一つでしかなかった。

 ユダヤ人の定義は一定ではなく、一般にはユダヤ民族というのがいるように思われているが流浪しながら千年以上も存続した彼らが純血の民族であることはありえないし、別にユダヤ人には鼻の形が違うといった特徴も存在しない。現在ではイスラエルがユダヤ人として認定した人がユダヤ人ということになっており、基本的にはユダヤ教を信仰する人がユダヤ人だと考えれば差し支えないだろう。
 では日本人がユダヤ教を信仰したらユダヤ人なのか、と聞かれればこの問いにはあまり意味がない。本当にユダヤ人に認められるほどユダヤ教を信奉する日本人であれば、その人はユダヤ人になれるだろうが言葉にするだけで無理があるし、まずは割礼をするといいだろう。

 彼らの歴史は宗教に埋没しているのでどうにも曖昧なところがあるが、メソポタミアから移住したヘブライ人がその起源だとされている。遊牧民だったらしい、この人々が更にエジプトに移住するとその地で奴隷とされるがモーセに率いられた一団がシナイ半島に脱出して「約束の地」へと辿り着く。本当はメソポタミアに帰りたかったのではないかと思わなくもなくはない。
 ともあれ紀元前10世紀頃、その地にイスラエルなる国家を建てた彼らだが王ソロモンが死ぬと分裂して隣国バビロニアに滅ぼされてしまった。分裂後にユダ王国を名乗っていた彼らはユダヤ人と呼ばれるようになり、バビロニア滅亡後はペルシア支配下でイスラエルを復興、その後もアレクサンダー率いるマケドニアや後継となるシリア傘下での自治を認められながら細々と暮らしていた。

 ユダヤの歴史が隷属の歴史であるか、他国に保護されてきた歴史であるかは些細な問題でしかない。重要なことは二つ、彼らが常に他国の影響下にあったことと、彼らの宗教が他の神様を認めなかったことである。何しろ十戒の最初に「私のほかに神はいない」と書かれている彼らだけに、自分たちだけが本当の神様を信じている、自分たちは不当な境遇にいるから自由になる権利があるというユダヤ人の基本原則が生まれる。
 当時起こっていた、王位と祭司職を巡る内紛の調停をポンペイウスに依頼したのはユダヤ人自身である。とはいえユダヤ教など知る筈もないポンペイウスには彼らの国内事情が分からない。とりあえず争いの原因である政教一致を見直しなさいというしごくまっとうな助言をするが、これは圧制者から自由になり神の国を打ち立てることを悲願としているユダヤ人には余計なお世話を超えて宗教弾圧にも聞こえる要求だった。

 蜂起したユダヤ人だが、軍事であれば天才ポンペイウスに勝てる者はいない。わけも分からぬまま兵を出すとエルサレムはあっさり陥落、シリア属州の一部としてローマの属領になるがポンペイウスも自分の助言でユダヤ人が怒ったことは分かったので、彼らが今までどおりの自治を行うことを認めてくれた。ポンペイウスもローマも騒乱を鎮定してユダヤの自治もそのままだし何も問題はないと考えたのかもしれない。だがユダヤ人はこれを新たな圧政者ローマの登場と受け取ったのである。
 この不幸な出会いはその後も解消されることがなく、ユダヤの反乱や紛争は絶えることがなかった。ローマが東方の安全を放棄するか、ユダヤが十戒を捨てれば彼らの衝突は避けることができたろうが一方は平和を、他方は自由を望むのだから折り合いはつきそうにない。

 とはいえどうせキリスト教の手で書き換えられてしまうのだから、このとき十戒を変えておけば良かったろうにとは考えてもいないので念のため。
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