2009年06月19日


なぜ共和政に危機が訪れたのか(歴史)

 カルタゴを下し、ギリシアを平定してオリエントを服属させた共和政ローマの危機を当時から明確に予言していたのはマルクス・ポルキウス・カトーである。カルタゴは滅ぼさねばならないと強硬に主張しながらも、ギリシアに関われば我らは滅亡するとの懸念を隠そうともしなかったが保守的な反動主義にしか聞こえないカトーの主張に耳を傾ける者はいなかった。
 最初に異変に気がついたのはティベリウス・センプローニウス・グラックスであったろうか。戦闘機械をうたわれたローマ軍団が弱くなり、地方では荒れ果てた土地を前に人々が困窮して職を失った者が首都にあふれている。これを救うべく改革を断行したのがティベリウスとガイウスのグラックス兄弟やガイウス・マリウスだった。グラックス兄弟は土地を再分配することによって、マリウスは窮乏した市民を軍団に雇い入れることによって人々に糧を与える。これはある程度成功したが、彼らはローマに訪れた危機の根本的な原因を理解してはいなかったから混迷は更に深まることになる。

 統治域、支配域が急速に拡大したローマに旧来の制度は追いつくことができない。イタリア半島の村や町を「分割して統治」しているうちは良かったが、シチリアや北アフリカやギリシアやオリエントはどうすればよいか。ローマは小麦の大農場や金銀を産する鉱山、芸術的な陶芸品や彫像の数々、遠くアラビアやインドから送られてくる高価な品々を所有する地域を属州として従えることになったのだ。
 大規模な農場の経営、拡大する市場、整備される社会基盤はローマを益々富強にしたが貴族と金持ち、そして平民という社会階級の分化を深刻なものにした。もともとこれらは分かれていたが、分かれていた彼らがそれぞれ力を持って対立した。グラックス兄弟の改革は困窮する平民を救った代償に平民派という派閥を作り上げ、護民官と平民集会の権限を強化して元老院に対抗するもう一つの政府にしてしまう。そしてマリウスの改革が軍団の私兵化を容易にした。

 この状況で分裂するローマを統合する必要があると考えたのがルキウス・コルネリウス・スラである。実力行使で首都を陥落させたスラは独裁官に就任すると護民官と平民集会の権限を縮小、貴族と金持ちが元老院を主導する体制を構築した。法律の民ローマ人らしく、法制度の整備によってこれができると考えたスラは公文書館まで建造すると引退して市井に戻る。

 だがスラの改革を認めながらもその手法は批判し、統合したローマにはそれを主導する「第一人者」が必要であると考えた者が二人いた。それがガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・トゥリウス・キケローである。後に民衆派に属するカエサルと元老院派を代表するキケローの二人は互いに対立しながらも、ラテン文学を愛好する無二の友人同士であり互いへの尊敬を隠そうともしなかった。
 それを偽善や社交辞令、あるいは変節と受け取る声は当時ですら無かった訳ではない。だが共和政ローマを訪れる危機を誰よりも正確に把握して、明確な意思と政治思想を持ってこれを克服する必要性を感じていたのはカエサルとキケローだけであり、当時の彼らを認めていたのは彼ら自身であったのである。
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