2009年07月08日


ユリウスとカエサルの年(歴史)

 放蕩者として有名なユリウス・カエサルだが神祇官や部隊長といった相応の公職には就いている。クルスス・ホノルムの始まりとなる財務官に就任したのが紀元前69年、この時期、叔母のユリアを亡くしていたカエサルは追悼演説を行う際にマリウスの立像を掲げてみせた。ユリアはマリウスの寡婦だったから非難されるべき行為ではないが、民衆派の象徴マリウスを掲げるカエサルは民衆派として立つことを宣言したことになる。

 財務官を終えれば自動的に元老院議員の議席が待っている。勇躍して元老院に乗り込んだカエサルだが人々はこの「借金づけの女たらし」を深刻な存在とは見ていなかった。とはいえマリウスの甥で民衆派を公言する人物であり、陰謀や策動の首謀者に担がれる危険は常にあったろう。いくつかの謀議が明るみになった際に、カエサルの関与が取りざたされたこともあった。
 カエサル自身は造営官に就任すると大規模な公共事業や祭儀を主催、ライオンやキリンを競技場で行進させて観衆を熱狂させていたがマリウスの戦勝記念碑を修復したりと民衆派らしい活動も行っている。票の売買が当然だった当時のローマにおいて、カエサルの借金が天文学的と言われたのもこうした公共事業や選挙資金を自前で調達したからだろう。そして紀元前63年、前任者の逝去で空席となった最高神祇官にカエサルは立候補して当選する。ローマの祭儀を主催する名誉職に近いが、執政官でさえ二人いるローマで唯一の単独、しかも終身の任期を持つ役職だった。

 この年は有名なカティリーナの陰謀が発覚した年でもあったが、カエサルは未遂に終わった陰謀なら追放や禁固刑にとどめるべきで処刑は不当だと主張する。キケローの熱弁に劣らぬ簡潔な弁舌は議場を動揺させるが、執政官として元老院をリードしたキケローも動揺したのはカエサルの理を認めたからだったろう。議決の最後にはこれが元老院の総意であったことを覚えておいて欲しいと念を押している。
 追求は翌年まで持ち越されるが、カエサルは一貫して厳しい処罰に反対するという立場を崩さなかったから、陰謀にはカエサルも関わっていたのではないかと噂されるようになった。そんな中、会議のさなかにこっそりと部下から手紙を受け取るカエサルを見て、強硬な保守派のカトーはこれこそカエサルとカティリーナ派の内通だとして手紙の開示を要求、渋るカエサルから取り上げたそれを読み上げるとカトーの姉でカエサルの愛人セルヴィリアからのラブレターだった。「この女たらしめ!」と罵るカトーだが場内は爆笑に包まれるとカエサルへの嫌疑はうやむやになったという。

 法務官を経てスペイン属州総督に就任、借金取りに追われながらも任期を全うしたカエサルはいよいよ執政官選挙へと乗り出す。当然のように妨害を図る元老院だが、カエサルはかの偉大なるポンペイウスを味方につけることに成功した。元老院に敵視、冷遇されていたポンペイウスの部下たちを自分が執政官になって助けようというのだ。更にカエサルの債権主で東方オリエントの専売権を欲しがっていたクラッススにも声をかける。
 こうして第一次三頭政治が非公式に成立すると、実力者ポンペイウスとクラッススの支持を取り付けたカエサルは執政官に就任する。グラックス兄弟以来の農地法をはじめとするカエサルの政策はもちろん元老院に反対されるがホルテンシウス法はすでに復活していた。元老院派の同僚執政官ビブルスを連れて平民集会を開いたカエサルは、演出もたっぷりに招待していたポンペイウスを演壇に上げる。平民集会の多くはポンペイウスの旧部下の集まりで、彼らへの土地配分などを連ねた政策をカエサルが読み上げるたびにポンペイウスが重々しく賛成するのだ。ポンペイウスが一つ頷くごとに群集が熱狂し、これらの実施はポンペイウスが責任を持って請け負うとまで宣言する。

 ここまでやってカエサルはビブルスを指すと、あとは同僚執政官である彼が否認さえしなければ、すべての法案は成立すると述べた。群衆はビブルスが元老院派であることを知っており、敵意を込めた視線の中でビブルスは「占いによれば今日は法案を審議すべきではない」と言ったので周囲は爆笑に包まれると糞壷を手にした一人が中身をぶちまける。
 逃げ帰ったビブルスが家に篭って出てこなくなると、執政官としての残る任期はすべてカエサルが取り仕切ってしまった。人々は冗談まじりにこの紀元前59年を「ユリウスとカエサルが執政官であった年」と呼び、そういえばビブルスが執政官の年は何かあったという記憶がないと笑い飛ばしていたという。
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