2009年07月13日
清廉潔白(歴史)
ユリウス・カエサルの台頭に渋面を浮かべていた元老院派だが、ローマの元老院議員が共和主義者にして門閥貴族だったというのは今更だ。その元老院派で国の象徴のように見られていたのが「祖国の父」キケローだが、元老院派を代表していた人物はむしろカトーであろう。マルクス・ポルキウス・カトー、あの監察官カトーの血縁で、大カトーに対して小カトーと呼ばれている人物だ。
当時、キケローもカエサルもポンペイウスもクラッススも執政官に就任しているのにカトーは法務官までしか出世していない。票の売買が当然のローマで彼だけはインチキをしなかったのが選挙に勝てなかった理由だが、だからこそ彼の存在は大きかった。ストア哲学を信奉して質素で厳格な生活を送り、彫像まで気難しい顔をしているカトーには政治的な弱点がないのだ。
軍隊では勇気と公正な態度が兵士に慕われていたし、不正を容赦なく告発したから市民にも尊敬されていた。そんなカトーだが惜しむらくは大カトーが持つ演説の才やユーモアの感覚には欠けていた。彼の演説は長たらしく聴衆をげんなりさせるだけで、しかも朝から晩までこれを続けることで相手を辟易させて議事を妨害するのが得意ときている。論戦をする相手にとってはたまったものではないとはいえ、牛歩や反対ばかりする政治家では人気がないのも当然だろう。
ところがこの清廉潔白なカトーが守ろうとした元老院は別に清廉でも潔白でもなんでもない。票の売買も属州での不正もカトー以外は誰でもやっているという有様で、後の帝政ローマは「共和政時代よりも汚職が減ってクリーンになった」と評価されるほどである。その共和政をカトーはなぜ守ろうとしたのか、単なる野心や自己保身ではカトーの熱意は生まれない。
カトーの恐怖はただ一点、ローマがSPQRの国ではなくなることへの懸念だったろう。このままではカエサルが君たちの王になると、たびたび同僚の議員を叱責している。カトーは平民が時として自分たちを指導してくれる英雄を望むことを知っていた。門閥貴族が協力して人々を主導すれば平民の権利は護民官によって守られるし、属州統治の不正だって裁判で明らかにすればいい。良きにしろ悪しきにしろ、ローマの運命を決めるのはすぐれた王ではなくSPQR自身でなければならないのだ。
このように考える人物は元老院の権威を無視するグラックス兄弟を認めないし、たとえ元老院を強化してもスラを支持することはできない。キケローは非難しないがポンペイウスは危険視する。無論カエサルのような人物は不倶戴天の敵になるだろう。
だが元老院派を自壊に追い込んだのもカトーに代表されるこの思想だった。繁栄するローマは自分たちの巨大な図体をコントロールすることができなくなっていたにも関わらず、改革がSPQRの権威を無視しなければならないとき、元老院はこれを断行することができなかったのだ。海賊を討伐したポンペイウスや商売を保護するクラッススを三頭政治に追いやったのは元老院自身である。カエサルはローマに改革が必要であることを説き、元老院には改革を行う能力がないことを声高に糾弾したが事実だから反論しようもない。
それでもカエサルに反論できたのはカトーだけだった。確かに彼が総督として就任した属州では優れた統治が行われて不正も起こらず税制も健全、任期を終えたカトーは称賛の中をローマに帰国している。もしも元老院議員が皆カトーのように清廉で潔白であれば、改革などせずとも健全なローマが保たれることをカトーは自ら体現してみせたのだ。だが元老院派の議員たちは自分がカトーになろうとはしなかったらしく、であればマルクス・ポルキウス・カトーは非現実的な理想主義者でしかない。
個人としてのカトーは死後に共和政を体現する人物として多くの称賛を贈られることになる。だが、彼が望んでいたのはもっと別のものだったろう。
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