2009年07月17日
ガリア戦役1(歴史)
キケロー曰く「裸体のように一切の装飾を凝らさない名文」といい、ヒルティウス曰く「それがあまりに無造作に書かれたことに感嘆せざるを得ない」というユリウス・カエサルが記したガリア戦記。2000年を過ぎても世界中で刊行されているラテン散文の傑作だが、現在の西ヨーロッパ一帯に相当するガリア地方を制圧した七年間の戦役の様子がカエサル自身の筆によって記されている。
紀元前59年、「ユリウスとカエサルの年」に執政官となったカエサルは翌年からの自分の任務をイタリア半島北端部のガリア・チザルピーナと、南仏プロバンスにあたるガリア・ナルボネンシスそれぞれの属州総督に決めていた。もともと元老院はカエサルの任地を「森と街道」というよく分からない場所に指定していたのだが、これを執政官の任期中に変えてしまったという訳だ。任期も常の1年ではなく5年。
西ヨーロッパ一帯に暮らすガリア人はかつてケルトと呼ばれていた人々だが、更にライン川を越えた東にはゲルマン人が住んでいる。このゲルマン人に襲われたスイス近郊のガリア人が移住したいと言ってきたのが事の始まりだ。もちろん移住先には普通に人が暮らしている。
カエサルは元老院の意向も聞かずに自費で軍団を集めると、早々に移住を始めていたスイス人を追い返してからゲルマンの長アリオヴィストスに宛ててスイスへの侵攻を止めるように勧告した。だがアリオヴィストスにしてみればローマの領土でもない地域にどうこう言われる筋合いはない。
こうしてゲルマン討伐を決意するカエサルだが、彼らはガリア人以上に獰猛で野蛮で恐ろしい連中として知られている。毛皮を着てウホウホ言う白人がガリア人だとすれば、裸でウホウホ言う白人がゲルマン人なのだ。ヨーロッパで農業を始めたガリア人が多少はおとなしくなっていたのに対して、相変わらずゲルマン人は定住もせず豊かな土地があれば襲うような人々だった。肉ばかり食べているからローマ人より頭一つは背が高い。
このゲルマン相手にカエサルの部下が怖気づいてしまう。前線に出たはいいが補給が心配とか士気が落ちていると言って従軍拒否をするようになるが、ユリウス・カエサルという人物のここからが真骨頂である。カエサルは部下の隊長を集めると補給や士気がどうこうと司令官の職務に口出しするとはけしからんと叱り、すでに戦いに勝算が立っていることを説明してからこう言った。
「さて、これから全軍で出立するが君たちがついて来ないなら私は第十軍団だけを連れて行こう。彼らなら私の行くところどこへでも従ってくれる」
全軍がカエサルに従い出立、特に第十軍団は司令官の無二の信頼に応えるべく奮い立ったという。このカエサルの兵士が強かったのも頷ける話で、以後数年に渡る戦役の中で彼らは勝利と幾度かの敗北を経験することになるが、例え負けても瓦解せずに必ず再起して逆転勝利をしてしまった。
ローマ軍団を迎え撃つことになるアリオヴィストスだが、勇猛なゲルマン人は最初こそ奮闘するものの疲れて勢いが衰えると反撃を受けて逃げ出してしまう。このときカエサル下で活躍したのが金持ちクラッススの息子でカエサルに預けられていた青年プブリウス・クラッススだった。アリオヴィストス自身は辛うじて逃亡するが、再起を果たすことなくそのまま死を迎えたという。
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