2009年07月24日


ガリア戦役2(歴史)

 ゲルマンを討伐したカエサルはガリアのあちこちから代表者を集めると、これからは部族長会議の下に団結しなさいとを呼びかける。だがガリア人は生来隣人と仲良くすることが嫌いだったから、不平分子が集まるとベルガエ人という勇猛な部族を立ててローマに反旗を翻した。名前のとおりベルギー周辺に暮らしている人々だが、勇猛なだけでローマ軍団に勝つことはできない。カエサルは軍団を率いてこれを撃破するとガリアの平定を宣言する。
 実際にはガリアは平穏化にほど遠かったから、自由と独立を望む部族の反乱があちこちで勃発、中でも大西洋岸に住むヴェネティ族は大艦隊を率いて海沿いの町を襲う。カエサルは部隊を分散させてこれに対処すると、青年クラッススや若いサビヌス、デキムス・ブルートゥスといった部下の活躍によってガリア人を制圧する。慣れない海に出たデキムスは巨大なガリア船に対抗すべく、鋭いカマのついたロープを振り回して相手の帆綱を切り落とす作戦を考案した。

 ガリア戦役はカエサル自身が記した戦記と、総司令官に従う若い指揮官の活躍が人々を熱狂させて多くの若者がカエサル軍への仕官を願ったという。ローマでは地位や名声のある人が有望な若者を推薦する風習があり、カエサルも当然こうした推薦を受け入れた。クラッススの息子である若きプブリウスもその一人だし、カエサルの友人であったキケローは弟や知人をカエサルに推薦している。カエサルもまたキケローの推薦なら信頼できると請け負い、兄に比べて出来の悪い弟といわれていた弟キケローはカエサル下の部隊長として堅忍不抜の奮闘を見せることになる。
 更にカエサルは自分の任地であるガリア・チザルピーナの住民にローマ市民権を与え、ガリアからの移住者も多いこの地の人々を兵士として活用する。ガリアやゲルマンの出身者には馬に慣れた者が多く、戦役を経てカエサル軍は若い指揮官と練達の兵士、勇猛な騎兵に占められる精鋭と化していった。

 こうしたカエサルの活躍を元老院はどのように見ていたか。ガリアの平定と農耕民族化が国境の安定と国力の増大につながることを彼らは知っている。イタリア半島を制する以前からローマはそのようにして領土を拡大してきたから、カエサルの功績を疑う理由はなくガリア制覇を祝う神々への感謝祭を決議した。
 だがカエサルのガリア遠征は元老院の承認を得ていない。戦争の開始と終結は市民集会によって決められるのがローマの法だから、カエサルは私的な理由でガリアを侵略していると元老院は非難した。カエサル自身は属州を守るために総督権限で防衛戦争をしたというが、言い分としては苦しいだろう。強硬派の議員にはカエサルをゲルマンやガリアに引き渡せという者まで存在した。

 遠征の歴史への影響は明確である。後代の西欧、ヨーロッパの母体を構築したのはこのガリア戦役だったのだから。
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