2009年07月31日
ルッカ会談(歴史)
ガリア制圧のためにローマを留守にしていたカエサルだが、彼がいない間に元老院派が情勢の挽回を図るだろうことは容易に想像できた。そのカエサルが「首都の守り」に用意したのがクロディウスという男で、もとは名門貴族クラウディウスの一門に生まれたが自ら平民になってクロディウスと名前を変えていた人物である。
このクロディウス、最高神祇官カエサルの家で行われた男禁制のボナ女神祭に、カエサル夫人と情交を結ぶべく女装して侵入したという不埒者だった。神々への冒涜だとしてキケローに告発されたものの、当のカエサルが口添えしたこともあって証拠不十分のまま無罪になっている。こんな次第でカエサルに恩を売られてキケローを恨むクロディウスは護民官に就任すると、元老院派の論客カトーをキプロス総督に任命してローマから厄介払いしてしまった。平民集会を掌握する護民官がホルテンシウス法を利用できるのは今更のことである。
調子に乗ったクロディウスは、キケローがかつてカティリーナ事件を裁判なしに処断したとして告発、追放と財産没収まで決めてしまう。もちろん当時キケローに喝采した平民集会がこれを可決した訳だが、逃亡したキケローの豪邸は取り壊されてしまうと落胆した「国家の父」はカエサルや友人たちにとりなしを頼む手紙を書き綴った。正義感も虚栄心も充分だが逆境には弱いキケローの手紙は気の毒なほどに泣き言ばかりで、この時期の彼を指して「泣き虫キケロー」と評する声もあるほどだ。とはいえカエサルにとってキケローは無二の友人であり、クロディウスのやりすぎを咎める声が上がる。
だがカエサルには別の懸念もあったろう。キケローが必ずしも元老院の利益の代弁者ではなかったように、カエサルも盲目的な平民の保護者ではない。クロディウスを用意したのはカエサルだが、このまま護民官と平民集会が暴走すればローマはスラ以前の混迷状態に戻ってしまう。
案の定というべきか、クロディウスはカエサルの苦言に聞く耳を持たず人を集めると、元老院もこれに対抗してミロという青年貴族に院外団を設立させた。二大政党がおかかえ暴力団を手に入れるという有様で、たちまちローマは仁義なき抗争の舞台となる。
首都が混乱すればカエサルのコントロールも及ばない。事態の収拾と治安回復を元老院にゆだねる空気が蔓延し、追放されたキケローも帰還を求められて首都に向かう。更に属州総督の任期を終えたカトーが彼らしいクリーンな手腕でキプロスの鎮定から財政の健全化まで、文句のつけようがない業績を上げて帰任した。平民派の暴走によって元老院派が息を吹き返すが、ガリアを治めるカエサルはローマに帰る訳にはいかない。
紀元前56年、カエサルはイタリア北部の町ルッカにポンペイウスとクラッススを呼ぶと三頭政治の強化を図る。両者が執政官に立候補してポンペイウスは西方スペイン、クラッススは東方シリアの属州総督に就任し、カエサルのガリア属州総督の任期も延長して紀元前50年まで三人で軍事力を独占しようというものだ。政局争いには違いないが、混乱するローマの治安維持には両者の手腕と声望が必要だったことを忘れてはいけない。ポンペイウスがいれば平民を、クラッススがいれば金持ちを黙らせることができる。
三頭政治は非公式な集まりであり、ルッカ会談は実力者三人によるサミットに近い。だが国際的な事情ではなく、国内の治安をサミットが守るのであればそれは国政が信頼されていないということで、護民官と平民集会の暴走によるローマの混乱はこの時期、病巣としてはっきり認識されていたのだろう。
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