2009年09月01日


元老院では(歴史)

 ガリアを平定したカエサルを待っていたのは、元老院派が支配するローマだった。戦勝を神々に感謝する式典は首都の人々を熱狂させたが、対立は消えることがなく元老院はカエサルの任期が終わり次第告発するという態度を崩していない。カエサルの偉業は疑う余地もないがガリアへの進攻が侵略であることには変わりない。だが元老院はカエサルがガリアを侵略したから弾劾を主張していた訳ではなかった。
 貴族と金持ちが治める元老院と平民代表の護民官が主導する平民集会、この両者が二つの政府となって対立する様相が共和政末期のローマの病巣だった。この事情を正確に把握していた人物がカエサルとキケローの両者だが、理想主義的なきらいはあっても自ら処方箋を示そうとした人物が小カトーであったろう。

 カエサルとキケローはスラの改革の強硬さを非難する一方で、改革が一時的なもので継続しなかったことに疑問を投げかけてもいる。「二つの政府」を解消するには国を主導する人物が必要だという点で彼らは共通していたがカエサルは平民の支持を背景に、キケローは元老院を主眼においていたことが両者の違いだったろう。これに対して小カトーは元老院議員が厳格に振舞うことさえできれば何も変える必要はないと考えていたが、これが単なる理想論に聞こえる人は「政治家はクリーンであるべきだ」という言葉を発する資格はない。

 かのユリウスとカエサルの年、カエサルが執政官の立場で行った数々の政策はローマの諸問題の解決に役立ったが、それは元老院も否定しない。元老院が反発した理由は彼がホルテンシウス法を武器にして、平民集会でこれらを強行成立させたことである。元老院議員は自分たちが蔑ろにされたことにも腹を立てていただろうが、カトーは結局のところ元老院でも平民集会でもなくカエサル一人が政策を断行していることに警鐘を鳴らしたのだ。「カエサルが君たちの王になるぞ」と常々批判している。
 執政官の任期を終えたカエサルは属州総督としてガリアに赴いた。総督の統治に干渉しないのがローマの法律で、元老院は戦争の開始と終結を決める権利くらいしか持っていない。カエサルはこれすらも破って戦争に従事したから非難される謂れはあったが、弾劾できるのは任期を終えてからだしカエサル自身は自衛権を行使しただけだと強弁している。確かに開戦のきっかけはガリア人の侵入や反乱への対処ではあったのだ。

 決議は平民集会でしてもどうせ平民は何も考えておらず、カエサルだけが政治も軍事も好きに行うことができる。元老院議員は厳格に振舞うべきだと考えるカトーは平民に何も期待していないから、その平民を利用して思うようにふるまうカエサルを許せないのは当然だった。
 執政官や属州総督の任期中は告発も裁判も許されていないが、任期が終わればそれまでの不正を訴えることができる。ごく当然のシステムだがカエサルは紀元前59年の執政官選出から10年、属州総督の立場にあった。属州総督は首都ローマに入れず、首都にいない者は翌年の執政官選挙に立候補できないからカエサルが無位無官になれば告発も自由になる。強硬派は早くカエサルの後任を決めて引継ぎをさせろと息巻いているが、これらは決して奇妙な主張ではないのだ。

 だがそれを認めることができるかどうかは話が別である。カエサルの統治は確かに貧民の救済と市場の拡大を行い、ガリアを平定して国土を増大した。そのカエサルに対する元老院の回答が告発と弾劾であるならば、両者の対決はもはや不可避のものだろう。カエサルが軍団を私兵化したとはよく聞かれる批判だが、兵士は好き好んでカエサルの私兵になったのだし彼らの司令官を弾劾する元老院が自分たちには何らの恩恵を与えることもできなかったことを知っているのだ。
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