2009年09月08日


賽は投げられた(歴史)

 ルビコン川を前に逡巡するカエサルと、それを振り切って叫ぶ「Jacta alea est( 賽は投げられた)」の声。元老院を打倒すべく内乱へと踏み込んだカエサルだが、最後まで戦いを避ける方法を探しながらもいったんルビコン渡河を決めてからは迷うことがなかった。

 クラッススの死とカエサルの台頭により三頭政治が崩壊すると、元老院はポンペイウスの懐柔に乗り出す。偉大なるポンペイウスにすればカエサルが自分に匹敵する栄誉を持つことが快くはなかったろうし、首都の治安維持という大義名分もあった。紀元前52年、元老院はポンペイウスを「同僚なき執政官」に任命する。クロディウスは暗殺されてミロは国外逃亡、非常事態だとして首都の治安維持を要請した訳だが、元老院の思惑は前50年までとなっていたポンペイウスの属州総督任期を紀元前52年からの5年間、前47年まで引き伸ばすことにあった。ルッカ会談でカエサルの総督任期が前50年までになっていたから、その後3年間はポンペイウスが軍事力を独占することができるという寸法だ。
 カエサル自身は任期満了に伴って執政官選挙に出馬するつもりでいたが、立候補は首都ローマで行わなければならず属州総督がローマに入るにはルビコン川の手前で軍を解散しなければならないという法律があった。軍を率いて首都に向かえば内乱は避けられない。

 カエサルはアントニウスやクリオといった部下の護民官を通じて自分に首都不在の立候補を認めて欲しいという要請を伝えるが、元老院は聞く耳を持たず任期が過ぎて軍を解散しなければ国家の敵に宣告すると言うだけだった。かのグラックスやカティリーナを討った「元老院最終勧告」を突きつけるということだ。とはいえ元老院が言うままに非武装で帰国すればよくて裁判所、悪くて処刑台に直行である。グラックス兄弟が殴り殺された前例を忘れることはできなかったし、元老院の強硬派はカエサルのガリア戦役は反国家行為だとして、ガリア人やゲルマン人に突き出してしまえとさえ言っているのだ。
 ポンペイウスやキケローが両者の仲裁を図ろうとするも空しく、元老院は妥協するどころか強硬になる一方である。ポンペイウスが一年間の任期を終えて、後任の執政官は反カエサルも明らかな人物だった。まずカエサルが軍を解散したら元老院はどうするか考えてやってもいいという回答では、さしものカエサルも受け入れられる筈がない。ついに年が明けて紀元前49年、属州総督の任期が切れたカエサルに対して元老院は「秩序維持のための元老院最終勧告」を宣言した。お前は国賊だから討伐するという宣言だ。

 カエサルやキケロー、ポンペイウスの意図は内乱を回避できるかどうかにあった。スラ派とマリウス派が激突した惨劇は忘れられるものではないが、元老院はそれを利用して相手は内乱に踏み切れないと強硬姿勢を貫いたのかもしれない。カエサルはルビコン渡河を決意した、というよりここまで追い込まれた彼にそれ以外の選択肢はなかったろう。問題は彼の部下が何と言うかだが、信頼する第十軍団を連れてルビコン川を前にしたカエサルは率直に問いかけた。

「戦友たちよ。あの川を越えればローマに地獄が訪れる、だが越えなければ私が破滅するのだ」

 カエサルに従って10年、属州出身の自分たちをローマ市民に昇格させて、最前線でともに戦う司令官に兵士たちは心酔していた。司令官は言ったではないか、第十軍団はカエサルに従って地獄までも行くのだと声を張り上げる。ただ一人、カエサルの腹心ラビエヌスだけが軍を離れるとポンペイウスの陣営に走ったが、カエサルは残されていた彼の荷物を届けさせただけだった。
 紀元前49年1月10日、総司令官の赤いマントをなびかせたカエサルは「我々の敵がいる場所へ進もう、賽は投げられた」の声とともにルビコン川を越えると軍団兵たちもそれに続く。ローマはもはや後戻りのできない内乱へと足を踏み入れたのである。
>他の戯れ言を聞く