2009年09月15日


金の話(歴史)

 ところでユリウス・カエサルという人物は若い頃にはやや頭髪が寂しい女たらしの借金王として有名だった。壮年期に入ってもハゲて女たらしの事情はいささかも変わらなかったが、スペイン属州への赴任やガリア戦役を境にして彼の借金はいつの間にかきれいに無くなっている。一説には略奪や住民を奴隷に売って儲けたのだとも言われているが、当時の市場では奴隷はそれほど高額な商品ではないし略奪するにしてもスペインはともかくガリアは潤沢な土地ではない。
 国家予算並みといわれるカエサルの借金、当時のローマでは個人が国家のために寄付をするという習慣があったからこれは不思議なことではない。カエサルが愛人に気前よく贈り物をしたことは有名だし、屋敷一つが買えるような宝石を渡したともいうがそんなものより剣闘士競技の開催に建物や街道の修復、ガリア遠征の軍団編成など自費で賄っていたから金だって無くなろうというものだ。現代でも金持ちはこういうことをするのが当然というのが西欧の思想だが、極東の島国に暮らす人には理解しがたい感覚かもしれない。資金援助というのは寄付と貢納金のどちらかなのだ。

 カエサル家は旧家ではあるが、スブラと呼ばれる庶民街に育ったというくらいだから別段裕福だった訳でもない。当初はこれらの費用を金持ちクラッススに借りていたようで、クラッススはカエサルの後援者でもあるがクラッスス夫人がカエサルにたらしこまれたのだという説もある。だがこの借金もスペイン総督やガリア戦役を経て返済したようだ。
 この辺の事情については憶測混じりだが、説によればカエサルは赴任先に商人を帯同して自分が統治する地域に市場を開かせ、その権益を手に入れることで儲けていたらしい。クラッススはローマ商人の代表者だから新しい市場はノドから手が出るほど欲しかったろうし、カエサルが安定した統治をすることによって市場が拡大して金を稼げる図式になる。スペインは金銀が掘れるしガリアは広大な農地にすることが可能であり、略奪には向かなくても投資する価値はあった。

 ところがこの手法に不満な人々も存在して、マルセーユをはじめとする西地中海に入植していたギリシア商人は新来のローマ商人が進出してきたので面白くない。彼らは地中海の海賊を一掃したポンペイウスのシンパにもなっていたから、カエサルとは敵対することになった。ローマを二分する内戦を前にしてポンペイウスはスペインからオリエントやアフリカにも及ぶ広大なギリシア系諸都市を、カエサルはローマ本国とガリアを支持基盤にして争うことになる。

 もう一つ、金といえばカエサルは中級の指揮官や隊長から金を借りるとそれを兵士にバラ巻いている。兵士は臨時ボーナスに喜んで頑張ったし指揮官や隊長は貸した金が無駄にならないように頑張ったとはカエサル自身の言で、いかにもカエサルらしいエピソードだが彼がどうして金を借りて何のために使っていたか、その一端が見てとれるだろう。兵士は金次第、金は力次第、力は兵士次第と言ったのもカエサルだが、兵士たちにすれば借りた金を自分たちのために使ってくれるのがカエサルなのだ。
 ルビコンを渡るに際してカエサルは軍団兵たちに、自分が国賊にされたせいで諸君に給料が出なくなってしまったと言うが、兵士たちはそんなカエサルに今度は自分の懐をはたいてみせたという。
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